S・リー監督による社会派群像劇。傑作「ドゥ・ザ・ライト・シング」の姉妹版のような作品である。
「ジャングル・フィーバー」(1991米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 建築会社に勤めるフリップは妻子と幸せな家庭を築いていた。そんな彼にも悩みはある。黒人であることから上司に差別を受け、日ごろから不満を抱いていたのだ。そんなある日、アシスタントとして派遣社員のアンジェラがやって来る。彼女はイタリア系移民一家の末娘で、父と出来の悪い2人の兄に縛られて生きていた。雑貨屋を営むイタリア人青年ポーリーと付き合っているが、奥手な彼に最近物足り無さを感じていた。ある晩、残業で遅くなった二人はつい出来心で不倫をはたらいてしまう。これをきっかけに2人の私生活は崩壊していく。
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(レビュー) 富裕層の黒人男性と貧しいイタリア人女性の不倫劇を周辺人物との絡み合いで描いたビターな人間ドラマ。
製作、監督、脚本はS・リー。いかにもS・リーらしい社会派的な一面を忍ばせた作りになっている。フリップが直面する人種差別の問題を筆頭に、麻薬の問題、少女売春問題。更には、フリップ、アンジェラ夫々の両親との軋轢に見られる宗教問題。
前々作「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989米)で人種問題を強く押し出したS・リー監督だが、ここでは同じハーレムを舞台に多種多様な問題を取り上げている。彼の意欲が伝わってくるような一本だ。
また、映画に登場する黒人というと、それまではどちらかというと経済的に貧しいイメージが持たれがちだったが、ここでの主人公フリップは富裕層である。これも今までに見られないリーなりの挑戦だろう。
ただ、その意欲は買うのだが、これだけ多くの問題を詰め込んでしまうと作品のパワーはどうしても拡散してしまう。
フリップとアンジェラの不倫のドラマ自体も安直で少し退屈感を覚えた。彼らの周囲の人間を引き合いに出して様々な問題を語らせるという手法を取っている以上、どうしてもドラマの芯たる不倫劇が希薄になってしまうのも無理もない話だが、だとすれば問題をどこかに集中すべきだったのではないだろうか?
例えば、ポーリーに関するエピソード一つ取ってみても、このドラマにどこまで必要だったのか疑問に残る。フリップの兄ゲイターのエピソードにしてもそうだ。群像劇の作り方として、これは少々欲張りすぎたような気がした。
とはいえ、この映画で一番強く印象に残ったのはゲイターのエピソードだったのだが‥。
これはS・L・ジャクソンの怪演による所が大きい。彼が母親にヤクの金を無心に来るシーンのインパクトといったら凄まじい。ここで描かれる顛末はジャンキー=社会的落伍者の悲劇を衝撃的に語っている。
そもそも彼がヤク中になってしまった原因はどこにあるのだろうか?彼自身か?両親か?フリップか?それとも政治に原因があるのか?
答えが見つからない。しかし、見つからなくて当然という気がする。なぜなら、もしその答えが見つかっていれば、ハーレムの現実はここで描かれているような荒んだ状況にはなっていないはずだからだ。
なんともやり切れない思いが残るが、過酷な現実を直視させるエピソードだった。