幼児の時間旅行をファンタジックに描いた作品。
「未来のミライ」(2018日)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ある日、甘えん坊の男の子“くんちゃん”に初めての妹“ミライちゃん”ができる。それまで両親の愛情を独占してきたくんちゃんは面白くなかった。そんな時、庭でセーラー服の少女と出会う。彼女はなんと、未来からやってきたミライちゃんだった。
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(レビュー) 甘えん坊の男児が未来からやってきた妹と不思議な体験をしていくファンタジーアニメ。
くんちゃんは甘えん坊な4歳の男児である。よくある話だが、この年頃の子供は弟や妹ができると急に我儘になったり、嫉妬をして弟や妹に意地悪をして、母親の愛情を独占しようとしたがるものである。そのあたりの幼児の心理を本作は実に丁寧に描いている。
自分の知る限り、ここまで幼児の心理を細かに分析したアニメは他にないような気がする。他の人が中々手を出さない題材ということで言えば、本作は実に稀有な作品であり、それだけでもかなり意義のあるアニメーションになっていると思う。
見所は何といっても、丁寧に描写されたくんちゃんの所作である。尻もちをつくにしても、走り方にしても、駄々のこね方にしても、ここまでこだわって作画されたアニメは他にないだろう。
そして、単にリアルに描くだけではなく、そこにはきちんとアニメならではのケレンミも加味されている。例えば、くんちゃんがペットの犬の真似をするシーンなどは、ユーモラスなファンタジー表現を交えながら表現されている。実写では到底不可能なコミカルで大仰な動きが、観てて微笑ましく感じられた。
原作・監督・脚本は細田守。
ここまで幼児の生態を細かく観察していることに驚かされる。彼は以前
「おおかみこどもの雨と雪」(2012日)で、オオカミと人間の間に生まれた子供の物語を描いていた。あれも本質的には育児アニメみたいなところがあって、子供たちの生態が丁寧に作り込まれていて感心させられたものである。こうした作品歴を考えれば、今回のリアリティのある、くんちゃんの所作表現がその延長線上にあることは合点がいく。
日常描写が大半を占めるので地味な作品であることに違いないが、細かなところまで丁寧に作りこまれた作画は画面のクオリティを支えていて、終始面白く観ることができる映画になっている。
ただし、本作には致命的な失敗があると思う。それは、くんちゃんの声優である。残念ながら完全にミスキャストという気がした。声質が太くて、とても幼児の声には聞こえなかった。
後で調べて分かったが、演じたのは東宝シンデレラオーディンションでグランプリに輝いた子らしく、本作が製作された当時は高校性だったということである。映像は素晴らしいのだが、この声のせいで本作は大分損をしている感じがした。
また、シナリオに関しても色々と難がある。
まず、タイトルにもなっているミライだが、実は本作は彼女の物語ではない。くんちゃんが主人公であり、ミライはあくまでキーパーソンに過ぎない。
そして、キーパーソンは、この物語にもう一人いる。それは、くんちゃんの、ひいじいじである。実は彼がくんちゃんの成長に一つの糧をもたらす。どちらかと言うと、妹のミライよりもひいじいじの方がくんちゃんの成長を促すという点では重要な役割を担っており、これではタイトルが完全にミスリードしているとしか思えない。したがって、鑑賞後に肩透かしを食らった気分になった。
もう一つ気になったのは、庭に立つ木をきっかけにタイムワープする方法である。日常の中に突如現れた非日常というファンタジックな仕掛けは大変いいのだが、その入り方が全て偶然というのがいただけない。2度目はいいと思うのだが、さすがに3度目はいくら何でもご都合主義すぎるだろう。ここは別の入り方にするなど、変化が欲しかった。例えば、くんちゃんが自らの意志で時空の扉を開くというくらいのケレンミと臨機応変さがあっても良かったように思う。その方が彼の成長の表明にもなるはずである。
一方で、昔の母のエピソードやひいじいじのエピソードなどにはしみじみとさせられた。
「時をかける少女」(2006日)、
「サマーウォーズ」(2009日)、
「バケモノの子」(2015日)等、毎回新作を作るたびに注目される細田作品であるが、今作は巷での評判は余り良くなかったと記憶している。確かに今回は主人公が幼児という、およそ観客の共感を得にくいキャラクターなので、その時点で好き嫌いがハッキリと分かれるのは仕方がない。細田監督も、そのあたりは最初から覚悟してこの題材に挑んだのだろう。言わば万人受けせずとも、自分の描きたいテーマを優先させたのだと思う。
自分もくんちゃんの横暴とも言える行動に決して共感を覚えることはできなかった。実際の幼児はこういうものだろうな、という客観的目線で観ることしかできなかった。
とはいえ、今や日本を代表するアニメーション作家になった細田守である。その彼がここまで自分の作家としての”エゴ”を押し出したところは評価してもいいのではないだろうか。少なくとも大衆に迎合することが重要とされる産業映画界において、自らの創作を貫いたのだから、その姿勢は讃えるべきではないかと思う。