「シークレット・オブ・モンスター」(2015米)
ジャンルサスペンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 第一次世界大戦末期の1918年。少年プレスコットはアメリカ政府高官の父と母と一緒にフランスへやってきた。父はヴェルサイユ条約締結を前に仕事に明け暮れ、母は厳しい躾でプレスコットを縛り付けていた。孤独に耐えかねたプレスコットは、ある夜教会に投石してしまう。その後も、プレスコットはたびたび癇癪を起こして周囲を当惑させていく。
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(レビュー) プレスコットという少年が独裁者になっていく物語。
冒頭で第一次世界大戦の記録映像が出てくるので実話の映画化かと思いきや、そうではない。ラストで架空の物語だったということが分かり、なんだか釈然としない思いが残った。
しかし、逆にこれを寓話として捉えるならば”あり”と思えてくる。この映画は誰か特定の人間のドラマではなく、普遍的な意味での独裁者誕生のドラマだ…と解釈すればスッキリとする。
プレスコットは両親の愛を受けられず、不慣れな土地で孤独な青春時代を送っている。唯一心を許せるのが屋敷に長年仕えてきた中年の給仕である。しかし、彼女も母から不当に解雇されてしまい、プレスコットは完全に心を閉ざしてしまう。
彼が置かれている立場は完全に牢獄の囚人のようであり、これでは心が病んでしまうのも無理はない…そう思えた。
映画はひたすらプレスコットの視座で、彼の孤独と怒り、寂しさを描いていく。終始、閉塞感と圧迫感に包まれた映画なので観ていて疲れる作品かもしれない。
しかも、本作は決して分かりやすい映画とは言えない。プレスコットは不満や孤独を口に出して言うわけではなく、その心情は観る方が想像するほかないからだ。彼の心の闇がこちら側に伝わってくるような親切な作りにはなっていない。
したがって、彼が独裁者(モンスター)になっていくラストにも今一つピンとこなかった。
これが
「ジョーカー」(2019米)のような明快な作りだったら、観ている方としても気持ちを持っていかれるだろう。しかし、この映画はプレスコットの置かれている”状況”しか描いていないため感情移入するまでに至らなかった。
監督はこれが初演出となるブラディ・コーベット。
後で調べて分かったが、彼は
「メランコリア」(デンマークスウェーデン仏独)や
「マーサ、あるいはマーシー・レイ」(2011米)等に出演していた俳優である。
おそらく本業は俳優なのだろうが、監督としても中々面白い存在だと思った。オカルトチックでシュールな雰囲気を漂わせた独特のタッチに惹きつけられる。
例えば、プレスコットが見る悪夢はまるでホラー映画のような薄暗いトーンで占められている。本作は決してホラージャンルの映画ではないのだが、これらのシーンに関して言えば完全にホラーである。
あるいは、プレスコットの主観で捉えたカットがたびたび登場してくるのだが、これも実にシュールだった。
若い女性家庭教師のブラウスから透ける乳首のカットは、思春期特有のエロ目線で捉えたものであるが、逆に言えば無垢な少年を魅了する大人の女性の無意識な魔性が感じられる。
遠くの田園に”何か”を見つけた後に、その”何か”からの主観カットに切り替わる演出もユニークだった。普通の映画であればその”何か”の正体がハッキリと開示されるだろうが、本作は謎のままである。観ているこちらは得体のしれぬ不安に駆られるほかない。
音楽も独特な不気味さがあった。担当したのはスコット・ウォーカー。
彼は元々はウォーカー・ブラザーズというバンドで活動していたミュージシャンで、映画音楽はこれまでL・カラックスの「ポーラX」(1999仏独日)を務めたのみである。電子音を駆使した不穏なサウンドが特徴的で、これが作品に異様な雰囲気を醸している。
尚、コーベット監督とウォーカーはN・ポートマン主演の「ポップスター」(2018米)という作品でもコンビを組んでいる。日本では今年の4月に劇場公開予定ということだ。そして、残念ながらスコット・ウォーカーは2019年に他界してしまった。