「ドグラ・マグラ」(1988日)
ジャンルサスペンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 殺人を犯して記憶喪失に陥った青年・呉一郎は、精神科医・若林のもとで治療を受けていた。若林の話によると、正木敬之という博士が前の担当医だったが、治療の途中で死亡したため自分が新たに担当になったという。ある日、一郎は正木博士が残した論文を目にする。すると、死んだはずの正木博士が突然、目の前に現れ…。
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(レビュー) 夢野久作の同名怪奇小説を鬼才・松本俊夫が映像化した作品。
原作は、読んだ人が精神に異常をきたすと言われる怪作として知られている。しかし、それはあくまで都市伝説にすぎず、当然のことながら実際にはそんなことはない。自分は未読なので書評しか目にしたことがないが、かなり混沌とした物語で理解するのに難儀するらしい。おそらくそうした内容から精神に異常をきたす…という噂が面白半分に流れたのだろう。
ただ、こうした噂がついて回る原作であるが、今回の映画自体はそれほど難解というわけではない。
監督の松本俊夫もアングラ作として名高い
「薔薇の葬列」(1969日)などを撮っているが、そこまでのアバンギャルドな演出はしていない。確かに松本らしい幻想的なタッチは至る所で散見されるが、物語を把握する上では特に邪魔になるようなことはなく、すんなり入り込むことができた。
尚、脚本は松本俊夫と大和屋竺が共同で手掛けている。大和屋も鈴木清順作品などを手掛ける鬼才として知られているが、その一方で大衆娯楽的なバタ臭い作品も書き上げるオールラウンダーである。この鬼才二人が怪作と言われる「ドグラ・マグラ」の映像化で手を組んだということは興味深い。
撮影監督は名手・鈴木達夫、美術監督は重鎮・木村威夫が担当している。この豪華な布陣も映画の世界観に大きく貢献している。
例えば、一郎が入院している部屋の異様で不気味なセットは、彼の狂気を具現化したものとして印象に残る。終盤に行くにつれて禍々しく混沌としたオブジェが増えていき、独特の世界観を構築されている。
病院の中庭を舞台にした回想シーンも印象に残った。こちらは室内の薄暗いトーンとは正反対に異様なまでに漂泊されたトーンで統一されている。これもまた言い表せぬ狂気と不気味さが感じられた。
ラストに至るシークエンスもまるで舞台劇的な映像構成で印象に残った。
このように映像については、やはり松本俊夫印全開なシュールでカオスな面白さが満喫できる。
物語は最後までミステリー仕立てになっている。
そもそも主人公である一郎自身が精神に異常をきたしているので、彼が見ている物は果たして現実なのか妄想なのか、その判断ができない。
例えば、死んだはずの正木博士が登場してくるのも、あるいは彼が生み出した妄想の産物なのかもしれない…という風に想像できるのだ。
どこまでが現実で、どこまでが一郎の妄想なのか。そこの判断さえ間違わなければ物語自体は容易に読み解けよう。しかも、その線引きは非常に明快に映像化されている。
キャストでは、正木博士役を演じた桂枝雀の怪演が今一つだった。奇妙な笑い声が鼻につく。もちろん狙っていやっているのは分かるのだが、対する一郎ほかのシリアスな演技との絡みから言うとまったく噛み合ってない。それゆえ彼の怪演が一際目立つことになるのだが、自分には周囲から浮いて見えてしまった。
一郎を演じた松田洋治の熱演は舞台劇がかった大仰さがあるが、幻想と戯画に塗り固められたこの世界観では程よくマッチしていたように思う。