「葛城事件」(2016日)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 葛城清は家業の金物屋を引き継ぎながら、妻・伸子と2人の息子に恵まれて郊外の一軒家で幸せな暮らしを送っていた。しかし清の理想への執着は、いつしか家族を抑圧的に支配してしまっていた。ある日、長男の保が結婚することになる。家を出て自分の家庭を持つが、会社から突然リストラされてしまう。一方、次男の稔はバイトも長続きせず部屋に引きこもるようになってしまう。
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(レビュー) ある家族の崩壊を鮮烈に描いたサスペンス・ホームドラマ。
現在と過去を交錯させながら葛城家の崩壊をミステリアスに解明していく構成にグイグイと引き込まれた。
稔がなぜ服役中なのか?清はなぜ酒浸りのクズになり果ててしまったのか?こうした疑問が映画の進行とともに明らかにされていく。
物語の視座は、最初は稔の婚約者である順子にあるが、基本的には清の告白(回想)によって展開されていく。
最も印象に残ったのは、映画中盤。伸子と稔が暮らすアパートに清が乗り込んでくるシーンだった。二人は暴君的な清から逃れて古いアパートで暮らし始める。そこに清が連れ戻そうと怒鳴り込んでくるのだ。日当たりの明るい部屋は清の登場とともに徐々に陽が暮れて薄暗くなっていく。この時間経過を表した照明効果が実に素晴らしかった。不穏な空気感を見事に表現しているし、一触即発の対峙にヒリヒリとした緊張感をもたらすことに成功している。
そして、このシーンの後に、保の身に衝撃的な事件が起こる。これも実にショッキングだった。彼の心情を察すると実にやるせない気持ちにさせられた。先のアパートの一件が事件の決定打になったように思う。
もう一つ印象に残ったのはクライマックスの稔の凶行である。世間からドロップアウトしたルーザーの自暴自棄な行動と言えばそれまでだが、現代社会の”闇”を赤裸々に表していると思った。
このように本作は終始隠滅としたドラマなので、観てて不快感を覚える人もいるかもしれない。
ただ、観客にそう思わせることができれば、おそらく製作サイドの狙いは成功しているのだろう。不景気、ニート、DV、死刑制度といった社会問題を、ある家族の崩壊を通じて観る側に正面から突きつける。それこそが狙いなのだろうから…。たとえ嫌悪感を覚えたとしても、間違いなく強烈な印象は残る作品である。
監督、脚本は赤堀雅秋。初見の監督さんだが、元々は劇団の主宰者だそうである。本作の元となった舞台を演出したらしく、映画監督としてはこれが2本目のようだ。ただ、2本目とは言いながらも、演出は中々どうして。実に端正にまとめられていると思った。
特に、金物屋における清と保のやり取りは、一見すると何の変哲もないシーンに見えるが、中々味わい深い。清が座る金物屋のレジの席に保が座る。ただそれだけなのに、保の心の機微が見えてくるから凄い。セリフでは一切語らず映像だけで保の敗北感と無力感、そして清の荒んだ心を見事に表現している。
また、所々にオフビートなユーモアを配したのも絶妙だった。
例えば、面会室における稔と順子のやり取りは時折クスリとさせる。缶コーヒーは甘いものに限るという稔の子供じみた主張は、緊迫した面会の中で不意に笑いを誘う。
あるいは、清がスナックでカラオケを歌うシーンにも苦笑してしまった。
本作で唯一よく分からなかったのは、順子がなぜ獄中の稔と婚約するに至ったのか?その経緯である。死刑制度の反対のために結婚しようとしたのだろうか?だとすれば、彼女もかなりファナティックなキャラクターである。
以前観た
「接吻」(2006日)という映画を思い出した。あれも獄中の殺人犯にヒロインの孤独なOLがシンパシーを覚え、徐々に恋愛感情を芽生えさせていくという話だった。
あちらはドラマの芯がしっかりとしていたのでいいのだが、こちらは順子の気持ちに迫りきれていないため今一つ説得力が感じられなかった。唯一本作で釈然としなかった点である。
キャスト陣では、清を演じた三浦友和の怪演が印象に残った。ややカリカチュアが過ぎた感はするものの、独善的かつ昭和的父権の象徴を堂々と体現している。
稔役を演じた若葉竜也のナチュラルな演技も見事だった。初見の俳優さんだが、セリフ回しの自然さに感心する。なんでも大衆演劇界の”ちび玉三兄弟”と言われ、幼い時から舞台にあがっていたそうである。意外にキャリアが長いので、この好演はホンモノだろう。