「豚小屋」(1969伊)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 中世時代、火山地帯の荒野をさすらう青年が兵士の一団と遭遇する。彼はその中の一人を殺して人肉を食べた。現代の西ドイツ、ブルジョワ青年ユリアンには婚約者がいたが、二人の間に肉体関係はなかった。ユリアンには彼女を抱けない、おぞましい理由があった。
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(レビュー) 中世と現代の物語を交互に描きながら、人間の禁忌に対する欲望を赤裸々に描いた問題作。
監督、脚本はピエル・パオロ・パゾリーニ。マルキ・ド・サドの原作を映像化した同監督作「ソドムの市」(1975伊)を思わせるようなグロテスクな内容の物語である。ただ、今作にはそこまでの直接的な描写はない。その点で「ソドムの市」ほどの強烈さはなく、かなりマイルドにまとめられている。
とはいえ、中世時代の主人公青年のカニバリズム、現代編の主人公ユリアンの倒錯的な性的欲望、はっきり言うと彼は豚と獣姦しているのだが、こうしたいわゆる”人間らしさ”をかなぐり捨てた本能的欲望はかなり強烈に提示されている。
人も所詮は動物の一種であるということを言わんとしているのだろうか?無神論者パゾリーニの人間観が窺い知れる。
そして、これとは別に本作にはもう一つのテーマが語られており、これもいかにもパゾリーニらしいと思った。それは現代編の主人公ユリアンがブルジョワ青年であることと深く関係している。
彼の父親はちょび髭を蓄えたヒトラー似の男である。この風貌からして明らかにナチズムに対する批判が伺えるが、同時に資本主義経済に対する批判も強く感じる。
というのも、彼は事業で巨大な富を築き、政治にも強い関心を持っている典型的な資本家だからである。政治の腐敗は資本主義社会に付き物の副産物である。パゾリーニは、このことを暗に示すがごとく、この俗物を物語の重要な登場人物として登場させている。
先述した「ソドムの市」も、第二次世界大戦下のイタリアを舞台にしており(原作から改変されているらしい)、当時の冷戦期におけるネオファシスト運動に対する批判が込められた作品だった。
パゾリーニは共産主義者だったが、このように政治と映画は後年のフィルモグラフィーの中では重要な部分を占めるモチーフとなっている。本作からもそれが強く見て取れる。
映画は終盤にかけて、二つの時代のカットバックが頻繁に繰り返されていくようになる。ドラマの盛り上がりを考えると、この辺りの編集の上手さには唸らされる。夫々の主人公が迎える顛末は共に悲劇的な物であるが、その惨めな姿に象徴されるのは、やはり人間=獣でしかないというパゾリーニの思想である。
ラストの軽やかな締めくくり方も実に上手い。凡庸な露悪趣味に走らなかったところが一味違う。本作が単なる見世物映画に堕してないことの証拠だろう。
キャストでは、意外な所でフランスの名優ジャン=ピエール・レオが出演している。おそらくパゾリーニの映画に出演しているのは本作1本だけではないだろうか?ユリアン役を飄々と演じており、まさかその裏で豚を盗んで獣姦してるようには到底思えない。…が、変態とは案外、表の顔はそうなのかもしれない…と妙に納得させられた。