「シルバー・グローブ/銀の惑星」(1987ポーランド)
ジャンルSF・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ある惑星に調査のために宇宙船が不時着する。数名の乗員が命を落とし、生き残ったのはマルタとヒョートル とイェジーだけだった。広大な砂漠の中でサバイバルが始まるが、その中でマルタとヒョードルの間に赤ん坊が生まれる。それから数十年の歳月が流れ、ただ一人生き残ったイェジーはここでの暮らしを記録して、それを小型ロケットに乗せて地球に向けて発射した。地球ではその記録映像を受け取ったマレックが惑星調査に乗り出す。
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(レビュー) ある惑星に不時着した地球人のサバイバルと、その子孫に託された数奇な運命を、数世代に渡るドラマで綴った壮大な映像叙事詩。
監督、脚本はポーランド映画界の鬼才A・ズラウスキー。彼の叔父であるイェジー・ズラウスキーの長編小説「月三部作」(未読)の1部と2部を映像化したSF大作である。
尚、今作は製作の途中でポーランド政府から撮影中止の命令がくだされ、残りの5分の1を残して未完となってしまった。冒頭で監督自身の口からその経緯が説明されている。
その後、1987年になってズラウスキーが未撮影の箇所を現代のポーランドの町並みで再撮して、監督自身のナレーションを入れることでようやく完成にこぎつけたらしい。
中止になった理由は莫大な製作費のせいだったということだが、それは表向きで実は反共産主義的な内容だからだという説もある。確かに映画を観ればその説はあながち間違っていないようにも思う。
いずれにせよ約3時間に及ぶ大作であり、かつズラウスキー映画らしく難解で哲学的な内容のため、観る人を確実に選ぶ作品だと思う。自分も1回観ただけではすべてを把握することはできなかった。以下に原作者であるイェジー・ズラウスキーのウィキペディアを記しておく。おそらくこのページの「月三部作」の項を見ると、本作の理解に役立つことと思う。
イェジー・ズラウスキー(ウィキペディア) 物語は大きく分けて前半と後半に分けられる。前半は地球によく似た未開の惑星に不時着した宇宙飛行士たちのサバイバルを描く探査モノとなっている。とはいっても、ハリウッド製アクション映画のような冒険活劇ではなく、ひたすらイェジーが捉えた記録映像、つまりPOV形式で進む日常描写で占められている。
後半は、彼らが残した記録映像を頼りにマレックが惑星に降り立ったところから始まる。すでに惑星にはマルタの産んだ子孫が家族を形成しており、一個の集落ができている状態である。そこでマレックは神のように人々から崇め奉られていくようになる。
夫々見応えがあるが、特に後半のドラマは、惑星の先住民族であるシェルン(鳥人間)との戦いがスペースオペラよろしく描かれており面白く観ることができた。
例によって、ズラウスキー映画らしい演者の熱量高目なパフォーマンス、手持ちカメラによる臨場感あふれる映像、神に対する考察や哲学論といった観念的なセリフが続き、物語云々という以前に、まずこの圧倒的なパワーに引き込まれた。
また、途中でメタ視点で語るようなセリフも見られる。
例えば、マレックが突然「演じることは何か?」を語ったり、映画のラストでズラウスキー監督本人が登場して自身の口から物語が締めくくられている。こうした複雑な構成が入り混じるので、この映画は更に難解さを増しているような気がした。
映像は実に素晴らしい。
大海原をバックにした美観が作品世界にスケール感をもたらしている。全体的に青みのフィルターがかかっており、どこか空虚で詩的な雰囲気を漂わせるも、いかにもズラウスキー映画らしく格調高い。今回はSFというジャンル故、更に荘厳さが加わったという印象だ。
最も印象に残ったのはラストシーンである。磔にされたマレックは、明らかにゴルゴダの丘のキリストの姿を連想させる。美醜の極みと言わんばかりの映像に魅せられた。
しかも、安易に信仰の啓蒙に傾倒しないどころか、それを痛烈に皮肉っているのがズラウスキーの凄い所である。つまり、神は人間によって祭り上げられた虚像に過ぎず、その神をいとも簡単に殺してしまうのもまた人間であるという現実。宗教は人間がコミュニティを統治する上での一つの手段でしかない…と言っているかのようである。
尚、本作を観てアレクセイ・ゲルマンの傑作
「神々のたそがれ」(2013ロシア)を思い出した。あれも地球から遠く離れた惑星で行われる争いの歴史を風刺を交えて描いた野心的なSF映画だった。かつてのポーランドと現在ロシアでは時代や環境が異なるものの、いずれも共産主義国という点では共通している。そのあたり念頭に入れて両作品を並べてみると色々と興味深い共通点が見つかるかもしれない。