「アノマリサ」(2015米)
ジャンルアニメ・ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) カスタマーサービスの本を書いて名声を築いたマイケル・ストーンは、妻子に囲まれながら恵まれた人生を送っていた。しかし、それは表向きだけで本当は退屈な日常に不満を募らせていた。ある日、講演をするためにシンシナティーを訪れたマイケルは、寂しさから別れた恋人と会うことになるのだが…。
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(レビュー) 孤独な中年男の心の闇を幻想的な表現で描いたパペット・アニメーション。
監督、脚本は「エターナル・サンシャイン」(2004米)、「アダプテーション」(2002米)、「マルコビッチの穴」(米)等の脚本を手掛けた鬼才チャーリー・カウフマン。監督業としては本作が2本目となる。尚、自分は1作目の「脳内ニューヨーク」(2008米)は未見である。
これまで実写映画を手掛けてきたカウフマンであるが、いずれもファンタジックなテイストのドラマだった。どこか漫画的で一風変わった独特の世界観が奇妙な味わいを醸していた。そこから考えると、今回パペット・アニメに挑戦したというのは、何となく合点がいく。根本的にカウフマンはコミック作家的な資質を持っているのだろう。特にビジュアル面でそれを強く感じる。
実際に本作を観てみると、随所にその資質が見て取れる。
例えば、本作の登場人物は、マイケル以外は皆、同じ顔と声である。これを実写で再現するとなるとちょっとハードルが高いだろう。アニメで表現することでシュールさも増すし、幻想性も引き立つように思う。
また、パペットの顔は目を境に上下に割れていて、ある時にそれが分割しそうになる。これもパペットならではの表現と言えよう。こうした不条理で不気味な”可笑しさ”は確かにカウフマンらしいユーモアである。
物語は実にシンプルである。いわゆる一夜のアバンチュールのドラマということに尽きる。しかし、このドラマをどう解釈するかは、相当難解と思われる。個人的にこれは人間の”孤独”と”没個性”を描くドラマだと解釈した。
マイケルは幸福と名声を手に入れ何不自由ない暮らしを送っている。しかし、それは表の顔であって、本心では満足していない。常に鬱屈した感情を抱え、本心を抑えこんで生きている。
そんなマイケルの心象を最も象徴的に表したのが、中盤、彼が浴室のガラスに映る自分の顔を見つめるシーンである。先述したように、本作の登場人物の顔はみな、目を境に上下のパーツに分かれている。マイケルは突然もがき苦しんで顔の下半分が剥がれそうになるのだ。おそらく本音を吐き出したくなった、ということなのだろう。彼は常に仮面をつけて生きている…ということが分かる。
マイケルは孤独を紛らすように元恋人と寄りを戻そうとするが失敗する。その後、リサという女性に出会い恋に落ちる。このリサという女性は元の恋人に似て大変地味で、決して美人とは言えない。そんな彼女に執心するマイケルの未練がましさは実に滑稽だが、”同じ容姿”の女性に再び恋をするというあたりはいかにもカウフマンらしいシュールさだ。
もう一つ、本作を解釈する上で注目したいのは「声」である。登場人物の顔が全て同じなのと同様、声も全て同じ声(マイケルの声)になっている。仮面をつけて生きる没個性な人間という存在そのものを表しているのだろう。
但し、ここで注意したいのは、リサの声だけは他とは違うという点だ。彼女だけはマイケルの声優ではなく女性の声優が演じているのである。リサだけは本音を包み隠さず自分の生きたいように生きている…ということを意味しているのだろう。
ある時、リサはマイケルから食事の仕方を注意をされる。すると彼女の声は急にマイケルと同じ声に変わってしまう。これは、個性の抑圧を皮肉的に物語っていると思った。
このように解釈していくと、本作は中々骨のある作品のように思う。現代社会に生きる人間の孤独と没個性が見事に表現されている。
尚、劇中にはマイケルとリサのセックスシーンが登場してくる。ストップモーションアニメでここまで大胆にセックスを再現したのは中々ないのではないだろうか。本作はパペットアニメでありながらR15指定作品となっている。