「別離」(2011イラン)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) テヘランに暮らす夫婦ナデルとシミンが裁判所で離婚を申請する。しかし離婚は簡単には認められず、妻シミンは家を出てしばらく別居することになった。一方、夫ナデルはアルツハイマー病の父の介護のため、ラジエーという女性を家政婦として雇うことにした。ある日、ナデルが帰宅すると父がベッドに縛り付けられ放置されていた。激高した彼はラジエーを手荒く追い出してしまうのだが…。
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(レビュー) 一組の夫婦のすれ違いから始まる悲劇をミステリアスに綴った社会派サスペンス。
製作・監督・脚本は
「彼女が消えた浜辺」(2009イラン)、
「セールスマン」(2016イラン仏)のアスガー・ファルハディ。ミステリアスな作劇と濃密な会話劇でグイグイと観る者を引き込んでいくあたりは、これまでの作品同様、見事である。イラン社会における人々の宗教観、慣例なども色濃く投影されており、大いに見応えのある傑作である。
物語はよくある夫婦のすれ違いから始まる。そこからアルツハイマーを患う父親の介護問題。更には、彼の介護をする家政婦ラジエーの貧困問題が描かれ、更には身重のラジエーを襲う悲劇的事件へとドラマが展開されていく。序盤こそホームドラマ風の淡々とした始まり方だが、一気に緊迫したサスペンスへと持ちこんでいく構成は実に素晴らしい。
中盤からは、ラジエーの身に起こった悲劇的事件を巡って、ナデルとラジエーの対立を描くドラマになっていく。果たして事件はどうやって起こったのか?誰が嘘をついているのか?真実はどこにあるのか?そうした謎が緊張感みなぎるダイアローグで紐解かれていく。
また、本作には回想シーンが一切なく、セリフのやり取りだけで物語が進行するのも特徴的だ。つまり、事件の顛末を最後まで見せない作りになっているのだ。
例えば、ラジエーがナデルに突き飛ばされた後にどうなったのか?アルツハイマーの父親が家を抜け出した後にどうなったのか?そのあたりの情報は一切描かれていない。
そのため、ラジエーやナデルの証言が真実なのかどうかが、こちらとしては判断しかねることになる。観ている我々は、ある意味で法廷の傍聴人よろしく、彼らの対立を眺めるしかないわけである。このミステリアスな作劇が実に巧妙で、最後まで緊張感が持続する。
よくドラマはツイストが命であると言われる。その定義からすれば本作は正にツイストの連続で、終始画面から目が離せなかった。
ただ、ここで描かれるナデルとラジエーの対立は見てて決して気持ちの良いものではないことは確かである。それは人間の愚かさ、強欲さ、些末さを赤裸々に語っているからである。そういう意味では、観る人を選ぶ映画であろう。誰が観ても楽しめる作品ではないと思う。
そんな中、唯一の救いと言えるのはナデルの子供テルメーの存在である。大人たちの醜い争いとのギャップもあろう。実に純真無垢で尊いものに映った。
ラストは、テルメーとナデル達、両親の対比で締めくくられるが、これも印象深かった。テルメーは復縁を望んでいるが、その思いとは裏腹に、ナデルとシミンは視線を決して合わせず、今後の行く末を密かに暗示して終わる。このラストカットが実に切なく印象に残った。
尚、劇中からはイスラム社会特有の戒律が、そこかしこに確認できる。
例えば、ラジエーが介護の世話で着替えを手伝って良いのかどうか迷うシーンが出てくる。日本では考えられないことであるが、イスラム社会では、女性が異性の裸に触れることは、たとえ仕事上のことでも許されないのだ。
こうしたイスラム社会における不文律が劇中に巧みに組み込まれているのも本作は大きな特徴となっている。