「Mank/マンク」(2020米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1930年代のハリウッド。アルコール依存症の脚本家ハーマン・J・マンキウィッツは、オーソン・ウェルズが監督、主演する「市民ケーン」の脚本に取り掛かることになった。その矢先、彼は運悪く自動車事故で足を骨折してしまう。砂漠の別荘に缶詰めになった彼は、そこで脚本作りを急ぐのだが…。
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(レビュー) 不朽の名作「市民ケーン」(1941米)の脚本製作にまつわるエピソードを当時の世情を絡めて描いた実録映画。
監督は
「ソーシャル・ネットワーク」(2010米)、
「ドラゴン・タトゥーの女」(2011米)、
「ゴーン・ガール」(2014米)のデヴィッド・フィンチャー。脚本は彼の亡き父ジャック・フィンチャーの遺稿である。
未だにオールタイムベストにも選ばれる「市民ケーン」であるが、その製作にあたっては様々な逸話が残されている。作品の主人公のモデルとなった当時の新聞王ウィリアム・ハーストの怒りを買って劇場公開や賞レースで妨害を受けたというのは、余りにも有名な話である。また、ディープ・フォーカスやローアングルといった撮影技術も本作から始まったと言われている。
それを若干26歳のオーソン・ウェルズがプロデュースから監督、主演まで務めて製作したというのだから、当時の映画界に与えた衝撃は相当大きなものであったことだろう。
もちろん本作にもオーソン・ウェルズは登場してくる。しかし、主人公は「市民ケーン」のシナリオを書いたハーマン・J・マンキウィッツの方である。「市民ケーン」ではウェルズと共同脚本になっていたが、今作を観ると実質的にはマンキウィッツ一人で書いたように見える。どうして共同名義になったのか?そのあたりのからくりは本作を観るとよく分かる。
マンキウィッツは「市民ケーン」でアカデミー賞の脚本賞を受賞し、一気に名脚本家の仲間入りを果たした。しかし、これ以降は脚本家として大成したというわけではない。そのあたりの理由も本作を観るとよく分かる。
フィルモグラフィーを見るとほとんどがB級作品である。よく知られている所だと「紳士は金髪がお好き」(1928米)や「打撃王」(1942米)といった作品だろうか…。しかし、これらはいずれも共同脚本名義であるし、「紳士は~」にいたっては原作戯曲やM・モンローが主演した55年版の方が有名である。
結局、彼はこの「市民ケーン」をキャリアの頂点として映画業界から忘れ去られた存在になってしまった。そんな不遇の作家マンキウィッツの一か八かを賭けた大仕事。それがこの「市民ケーン」だったということが本作を観るとよく分かる。
ただ、華やかりしハリウッドを舞台にしてはいるものの、メインとなるドラマは悩めるシナリオライターの苦闘の日々である。決して万人が共感を持てるドラマとは言い難い。「市民ケーン」の製作裏話を覗き見する…という感覚で観れば十分に楽しめるが、「市民ケーン」を観たことがない人には余り興味を持てない作品だろう。
また、実在した関係者の名前が続々と登場するので、予め予習しておかないと分かりづらい面もある。自分は、MGMのCEOルイス・B・メイヤーや名プロデューサ、セルズニックあたりは知っていたが、それ以外はよく知らなかったので観てて少し分かりづらかった。マンキウィッツに同業者の弟がいたことも今回の映画で初めて知った次第である。
尚、この弟との最後のやり取りは中々味わいがあって良かった。
更に、劇中には当時のカリフォルニア州知事選挙が登場してくる。共和党のプロパガンダにMGMが一役買っていたことも初めて知った。先の大統領選然り、現代に通じるような風刺を効かせたところに製作サイドの気骨が感じられる。
映像は40年代を意識したモノクロ映像で統一されており、フィンチャーならではのこだわりが感じられた。
例えば、車窓に流れるスクリーン・プロセスやモノクロ特有のコントラスを利かせた陰影は、当時の映像の再現に他ならない。リアリティを考えればナンセンスかもしれないが、そこにはフィンチャーならではのユーモアが感じられる。
音楽も当時のジャズを流用し、とことん40年代風味を追求し、ここにもフィンチャーの完璧主義が徹底されていると思った。
かつては鬼才などと評されていたフィンチャーも、ここまでくるともはや名匠の域に来ているという感じがする。改めて彼の完璧主義な映画作りには感服するほかない。
キャストでは、何と言ってもマンキウィッツを演じたG・オールドマンの狼狽した演技と、時折見せるユーモラスな演技が絶品だった。他の俳優も素晴らしいアンサンブルを披露している。