fc2ブログ










裁かれるは善人のみ

pict2_080.jpg
「裁かれるは善人のみ」(2014ロシア)star4.gif
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ)
 ロシアの小さな入江の町。自動車修理工場を営むコーリャは、若くて美しい妻リリアと前妻との息子ロマと3人で暮らしていた。ある日、町に開発計画が持ち上がり、彼の土地を市が収用することになる。納得のいかないコーリャは、親友の弁護士ディーマの力を借りて市を相手に訴訟を起こすのだが…。

ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!

FC2ブログランキング
にほんブログ村 映画ブログへ人気ブログランキングへ


(レビュー)
 行政の土地開発計画に抗う男が辿る悲劇的な運命をシリアスなトーンで綴った社会派人間ドラマ。

 物語前半は土地開発問題を巡ってコーリャと行政側が対立するドラマとなっている。
 コーリャは親友のディーマを弁護士に付けて法廷闘争にのぞむのだが、その中で二人は家族ぐるみの交友をしながら友情の結束を固めていくようになる。法廷ドラマであると同時に、ある種人間ドラマ的な趣が味わえる内容となっている。
 そして、中盤でこの法廷闘争は一応の決着がつく。

 後半に入ってくると物語は意外な方向へ進んでいく。
 ネタバレを避けるために詳しくは書かないが、コーリャとディーマの関係に亀裂が入り、映画前半で敗訴となった市長が反撃の攻勢に出てくるのだ。喜びも束の間、コーリャの人生は大きく狂ってしまう。

 しかして、ラストは取り返しのつかない事態にまで発展し、残酷的な顛末を迎えることになる。正直、これは予想できなかった。一体どうしてこんな結末になってしまったのか?誰が悪かったのか?どこかで軌道修正できたのではないか?と色々と考えさせられてしまった。

 タイトルの「裁かれるは善人のみ」の意味が反芻される。
 そこには宗教的な意味合いも確実に含まれており、それは終盤に登場する神父が語る旧約聖書のヨブ記の言葉に示唆されている。悲劇の連続に苦しめられたヨブは神に向かって理不尽な我が身を訴えるという話だが、それはまさしくコーリャの境遇そのものに重ねて見ることができる。果たしてこの世に神は本当にいるのか?救いはあるのか?という彼の心の問いかけは空しく響くばかりだが、それは観ているこちらもまったく同じ思いである。

 尚、映画のタイトルの原題は「リヴァイアサン」(英語読み)である。リヴァイアサンは旧約聖書に登場する怪魚である。この映画の舞台となる寂れた港町には海岸に打ち上げられたクジラの死体が転がっている。手つかずのまま何年も放置されたままなのだろう。すでに白骨化しており、それが正に怪魚リヴァイアサンの死体を思わせる。そして、希望も変化もない閉塞感に包まれたこの町を、このクジラの死体は暗に象徴しているようにも感じられた。非常に印象的なオブジェである。

 監督、脚本はアンドレイ・ズビャギンツェフ。同監督作「父、帰る」(2003ロシア)同様、今回も終始張り詰めた緊張感が持続する映画となっている。
 音楽は一切なく、セリフも必要最小限で、映像で語るタイプの典型的な作家で、その研ぎ澄まされた表現が今回も健在だった。

 そのミニマルな作家性が最もよく出ていると思ったのは、皆で狩猟に出かけた中盤のシーンである。ここでコーリャとディーマの軋轢は決定的な物となるのだが、それを直接的に見せず、機関銃の”音”のみで表現するスマートな演出に脱帽した。

 キャストの好演も見事である。ロシアの俳優は余り馴染みが無いのだが、コーリャ役の俳優の苦悩を秘めた演技、妻リリア役の女優の抑制された演技が絶品だった。
[ 2021/03/14 00:49 ] ジャンル人間ドラマ | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://arino2.blog31.fc2.com/tb.php/1920-5bdf7675