「シリアスマン」(2009米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1967年、ユダヤ人の大学教授ラリーは愛する妻子と幸福な暮らしを送っていた。目下の心配は、今の大学が終身雇用を受け入れてくれるかどうかだった。そんなある日、落第点をつけた学生の親から強引にワイロを押しつけられる。その後、妻から突然離婚を切り出される。散々な目にあってばかりのラリーは教会のラビに相談しに行くのだが…。
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(レビュー) 幸福な暮らしを送っていた男が次々と災難に見舞われていく様をブラックユーモアを交えて描いたヒューマン・コメディ。
監督、脚本がコーエン兄弟ということで、如何にも彼ららしい皮肉と毒気に富んだ作品となっている。凡庸なコメディとは一線を画す、ちょっとクセのある作品なので、コーエン作品が好きな人や通好みな人たちが喜びそうな映画である。
物語は軽快に進行していく。ただ、アバンタイトルで悪霊の逸話が登場してくるのだが、これが中々本編であるラリーのドラマに繋がってこないので戸惑いを覚えた。おそらくユダヤ教を皮肉る意味でこの挿話を持ってきたのだろうが、正直これがあっても無くても作品自体の印象はさほど変わらないように思った。
ラリーは実に生真面目な男である。講義もバカが付くほど真面目だし、落ちこぼれの親から賄賂を持ち掛けられても断固拒否する。真面目なのはいいが、結果的にそれが仇となり、かえって彼はこの親から逆恨みを買うようになる。
また、妻の心が離れてしまったのも、ラリーが何の面白みもない真面目一辺倒の男だからである。
彼の不幸はこれだけで終わらない。隣に住む女性が日光浴をしているのを偶然目撃したのをきっかけに、ラリーは彼女に誘惑され益々妻との関係はこじれてしまう。
他にも、交通事故にあったり、トラブルが絶えない兄のせいで迷惑をこうむったり等々。
真面目な男(シリアスマン)ラリーはどんどん不幸のドツボにハマってしまう。
ラリーのこの生真面目な性格形成は、おそらく彼の出自に関係していることは、映画を観ていると何となく想像がつく。彼は幼い頃から敬虔なユダヤ教徒で、そのストイックな思考によって自分自身の生き方を無意識に縛り付けてしまっているのである。
自分はユダヤ教徒でもないしユダヤ教についてそこまで詳しくはないが、おそらく当の信者が見たら、この物語はさぞかし皮肉的に映るのではないだろうか。そこには当然コーエン兄弟の意地の悪いユーモアも入っている。
こうして次々と不幸な目にあうラリーは、溜まりかねて3人のラビに相談しに行くことになる。しかし、いずれも明確な回答は得られず、再び災難の日々に明け暮れることになる。宗教などあてにならないということを皮肉的に語っているような気がした。
最も印象に残ったのは、歯医者のエピソードだった。これはラビがラリーに話して聞かせる例え話として紹介される。歯医者が患者の歯の裏を見たらそこにヘブライ語が書かれてあった…という珍妙なエピソードである。コーエン兄弟の初期作品「赤ちゃん泥棒」(1987米)のオープニングシーンを想起させるような軽快な語り口が素晴らしい。
ラストもかなり唐突に終わるので、それがかえって強い印象を残す。敢えて観客に想像させる意図からこうした中途半端な終わり方になっているのだろう。果たして”あの嵐”はどこへ向かおうとしているのか?何とも不穏な終わり方である。