「SOMEWHERE」(2010米伊)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 映画スターのジョニー・マルコは、高級車を乗り回しながらパーティーと酒と女に明け暮れる自堕落な暮らしを送っていた。ある日、彼の元に前妻と11歳の娘クレオが訪ねてくる。親子水入らずのひとときを過ごした後、ジョニーは元の自堕落な生活に戻っていった。そんなある日、再びクレオが一人でやってきて…。
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(レビュー) 孤独なスターと一人娘の情愛をしみじみと描いた人間ドラマ。
正直、序盤は余りのめりこめなかった。セレブの日常を描くドラマなど余りにも遠い世界の出来事で感心を持てなかったからである。ところが、不思議なもので観て行くうちに徐々に物語に入り込んでいけるようになった。最終的にはジョニーの孤独感はきちんと伝わってきたし、彼と娘クレオの交流には癒されるものがあった。セレブの自堕落な生活を描く「孤独」のドラマから、普遍的な父娘の交流を描く「情愛」のドラマに見事に昇華されていたからであろう。
監督、脚本はソフィア・コッポラ。独特のユーモアと繊細な演出で人生の機微を軽やかに紡ぐ女流監督である。本作にもその資質は十分に見て取れる。
例えば、ユーモアという点で言えば、ジョニーが共演女優とスナップ写真を撮るシーン。背が低いジョニーが台に乗って身長差をごまかす姿にクスリとさせられた。あるいは、ジョニーが特殊メイクの型取りでずっと放置されるシーンも可笑しかった。
また、冒頭とエンディングを車というアイテムで結び付けた演出には舌を巻いてしまった。ジョニーの閉塞感を開放していく補助役として「車」というキーアイテムを用いている。演出のアイディアが素晴らしい。
一方で、ソフィア・コッポラ監督は今回は珍しくロングテイクに果敢に挑んでいる。これは意外であった。
例えば、彼が延々と車を周回させる冒頭のシーン、2度にわたって繰り返される双子のコールガールのポールダンスのシーン、ジョニーとクレオがプールサイドで日光浴にふけるシーン等。映像的には極めて単調で面白みが感じられないのだが、これらはジョニーの倦怠感に満ちた日常を表していることは明らかである。その演出意図を汲み取れば、中々野心的な演出に思えた。
唯一、映画を観終わって引っかかり覚えた点が一つある。それはクレオの母親の扱いである。
物語前半で、クレオをジョニーに押し付けたまま彼女はそれ以降、一切画面に出てこなかった。明らかに母の存在感の薄さが意図されており、そこに何の意味があったのか。それがよく分からなかった。
キャストでは、クレオ役を演じたエル・ファニングの透明感あふれる姿が印象に残った。彼女を捉えた数々のフォトジェニックな映像は、ソフィア・コッポラの名を一躍有名にした処女作「バージン・スーサイズ」(1999米)の映像を彷彿とさせる。
ジョニー役はスティーヴン・ドーフ。アクションやサスペンスといったジャンル映画での印象が強いが、ここでは悩める孤独な中年男をしっとりと演じている。新境地を開いたと言って良いだろう。