「夜」(1961仏伊)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 結婚して10年になる作家ジョバンニと妻リディアが、病床に伏す夫の友人を見舞った。彼の姿を見てリディアは密かに心が傾いていくのを感じた。一方のジョバンニも、他の女性患者に言い寄られてベッドに入りそうになってしまった。その後、ジョバンニはサイン会のため会場である書店へと向かった。一方のリディアは退屈を持て余して宛てもなく郊外を歩き回る。
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(レビュー) ある夫婦の破綻の危機を淡々と綴ったシリアスなドラマ。
監督・共同脚本はM・アントニオーニ。いかにも氏らしい不毛の愛をテーマにした大人の恋愛ドラマである。
物語は一日の出来事で構成されている。ジョバンニとリディアはすでに冷え切った関係にある。リディアは病気療養中のジョバンニの友人に心が傾き、ジョバンニも他の女性に誘惑されてその気になってしまう。
その後、夫婦は別行動を取り、ジョバンニは自分のサイン会場へ赴き、残されたリディアは町の外れまで宛てもなく歩き始める。そこで描かれるリディアの行動は正に無為の一言に尽きる。映画前半のほとんどは、そんなリディアの退屈な半日の描写で占められる。
映画後半は、ジョバンニとりティアがパーティーに出かけるところから始まる。以降は、ほぼこのパーティー会場のシーンとなっている。
そこでジョバンニは魅力的な女性バレンチナと仲良くなり、リディアはまたしても部屋の端に放置されてしまう。昼間とまったく同じように彼女は退屈を持て余して宛てもなくパーティー会場を放浪するのだ。
こうした夫婦の描写が最後まで延々と綴られるのみで、これと言った大きな事件が起こるわけではない。したがって、観る人によっては退屈な映画だと思う人もいるだろう。
しかし、個々のシーンを細かく見ていけば、これほど計算されつくされた映画もないと思う。各シーンにおける夫婦それぞれの感情を想像しながら見て行けば中々スリリングな恋愛ドラマとして興味深く追いかけることができる。
例えば前半部。リディアが広場で玩具のロケットの打ち上げを見物するシーンがある。空高く打ち上げられたロケットを彼女は一体どんな気持ちで見たのだろうか?きっと鬱屈した夫婦生活からの”解放”を夢想したに違いない。
あるいは、後半のパーティー会場におけるリディアの孤独感は、主に喧騒との対比でクローズアップされている。ジョバンニが常にパーティーの輪の中心に溶け込んでいることで、その対比はいっそう強調されている。時には顔の表情を見せず後姿だけで語らせており、この抑制を利かせた演出は実に味わい深い。
M・アントニオーニの作品は、とにかく虚無的で悲観的で一般大衆には受けないわけだが、こうした知的で大胆な語り口にはやはり魅了されてしまう。カットの一つ一つが時に意味深で、そこに忍ばされたメッセージに我々は時に意表を突かれドキリとさせられるのだ。
キャストでは、ジョバンニを演じたM・マストロヤンニの飄々とした演技もさることながら、リディアを演じたJ・モローのけだるい演技が絶品だった。同年にゴダールの「女は女である」(1961仏伊)とトリュフォーの「突然炎のごとく」(1961仏)に出演し、翌年には彼女の代表作と言ってもいい「エヴァの匂い」(1962仏)が公開され、正に脂が乗っていた頃であろう。そんな絶好調だった時期の1本である。彼女のファンであれば尚更楽しめると思う。