「皆殺しの天使」(1962メキシコ)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) オペラ帰りの客たちがノビレとルシア夫妻のディナーに招待される。楽しいひと時を過ごすが、いざ帰ろうとすると、どういうわけか部屋から出ることができなくなってしまう。水と食料が底をつき、何日も閉じ込められた彼らは次第に常軌を逸していき…。
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(レビュー) ディナーの招待客が外に出れなくなってしまうという不条理な状況をブラック且つシニカルに描いたルイス・ブニュエル監督の怪作。
本作はドラマ的な面白さよりも、いわゆるシットコムのような感覚で楽しむべき作品のように思う。
部屋から出れなくなった彼らは、その場にとどまり無意味で虚無的な時間を貪り尽くす。やがて水と食料が底をつくと精神的にも肉体的にも徐々に疲弊し錯乱状態に陥って幻覚を見るようになる。そして、醜い争いを繰り広げるようになっていく。
この異常な状況は、彼らの日常への回帰の拒絶を意味しているのか?それとも、催眠術のようなオカルト的現象なのか?実際のところ映画を観終えてもよく分からない。
ただ、暗喩として捉えるならば、外界から遮断されたこの状況は彼らの心の”壁”が作りだしたものなのではないか。そんな風に想像できた。
登場するキャラクターは歌手や指揮者、医者、末期患者、建築家等々、実に多彩である。最後まで全ての人物関係を把握するのは難しい映画だが、彼らに共通するのは全員がブルジョワだということである。ブニュエルと言えば「ブルジョワジーの密かな愉しみ」(1972仏)が思い出されるが、彼は基本的にブルジョワ階級に対しては痛烈な批判を浴びせる作家である。その資質が本作から存分に感じられた。
そして、穿ってみれば、外界から隔絶されたこの状況は、俗世間との断絶を頑なに固辞する彼らの心の狭さを意味しているようにも思えた。
それは屋敷の外に集まる聴衆との対比からも伺えることである。警察まで出動して大騒ぎになるのだが、誰も屋敷の中に入ることができない。何日間も傍観するのみである。屋敷の扉と彼らの間には目に見えない壁が存在しているかのようである。
このように物語に関して言えば、ブニュエルの映画史上、最もシュールな作品だと言える。
また、中盤で女性客の一人が床を徘徊する手首を見るが、これなどはホラータッチが入った演出で恐ろしかった。その手首は実在したのか?それとも幻覚なのか?分からないところが、これまたシュールである。
尚、本作で今一つ意味不明だったのは、実際に部屋の中に登場する羊や熊である。何かを暗喩したものなのだろうか?その意味するところがよく分からなかった。
また、ラストで軍に抵抗するレジスタンスが登場してくるが、おそらくこれは当時のフランコ政権に対する批判を示したものだろう
。本来のドラマとは全く無関係であり、自分は蛇足に思えたが、このような風刺を取り入れた所もいかにもブニュエルらしいところである。