「血を吸うカメラ」(1960英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) カメラマンのマークは密かな快楽を人知れず追及していた。恐怖に怯える女性の表情をカメラに収めることに執着していたのである。ある日、ついに彼は死の間際の表情を撮りたいと熱望するのだが…。
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(レビュー) 特異な性癖を持った青年が狂気に飲み込まれていく様をスリリングに描いたサイコ・スリラー。
マークがどうしてこのような性癖を持つに至ったのかは、後半に明かされるが、それを知ると一定の憐憫の情を禁じ得ない。それは心理学者だった父親に関する過去のトラウマに起因している。ある意味で、マークは父親によって創られた”モンスター”だったのではなかろうか…。
普段は人当たりの良い好青年なのに、いざカメラを持つと殺人鬼に豹変するという所に、何とも言えぬ哀しみがこみ上げてくる。
監督は「赤い靴」(1948英)、「黒水仙」(1946英)の名匠マイケル・パウエル。それまでコンスタントに作品を作ってきていたが、本作以降、フィルモグラフィーが途絶えることとなる。その原因は、本作の性的、暴力的内容が批評家たちから大バッシングを受けたからだ。これによって、パウエルの名声は一気に失墜し、映画界から追放されてしまったのだ。
今観るとそれほど過激とは思えないが、当時としてはかなり刺激的だったのだろう。そもそも変態異常者を主人公にした映画自体が珍しかったのだと思う。しかも、父親によってトラウマを植え付けられた悲劇の被害者のように描いてしまったことで余計に批判されたのだろう。
しかし、こうした曰く付きの作品であるが、主人公の葛藤は実に濃密に描かれており、中々見ごたえのある傑作になっていると思う。何よりマークの写真に対する偏執的なこだわりに映画監督パウエル自身の”自己投影”が感じられて興味深い。
マークは初めは単に女性の顔を撮ることにこだわりを持っていたが、最終的に最も美しいのは”死に顔”だということで、それを撮ることに執念を燃やすようになる。
映画監督も一緒で、彼らは大概カメラの中の女優を美しく撮りたいという意識をもって撮影に臨んでいる。まったく同じとまでは言わないが、本作のマークにも”映像作家”としての性(さが)が感じられる。
本作は画面作りもユニークで面白い。中でも独特の色彩トーンは印象に残る。
例えば、マークがビビアンという女優と映画スタジオで会うシーンがある。ここでの原色を基調とした異様で幻惑的な色彩トーンは、マークの異常心理の再現とも取れる。彼には世界がこういう風に見えているのか、ということが分かるようで面白く観れた。
一方で、物語はシンプル且つ軽快に展開されている。ただ、幾つか突っ込みたくなる部分もあり、そこは残念だった。
例えば、マークが住むアパートの階下の女性がヒロインとして登場してくるが、彼女がマークに近づく動機が今一つ弱い。もっと段階を踏んで丁寧に二人の関係を築いてあげる必要があったのではないだろうか。かなり強引に映る。
また、マークは自分が殺した遺体を隠さずそのまま放置しているが、証拠をわざと残すような真似を何故したのだろうか?完全犯罪を目論むなら当然死体も見えない場所に隠すだろう。今一つ理解できなかった。
キャストではマークを演じたカール=ハイツ・ベームの抑制を利かせた演技が素晴らしかった。どことなく「コレクター」(1965米)のT・スタンプを想起させる神経質でオタク気質な青年役である。