「母という名の女」(2017メキシコ)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 姉クララと妹バレリアは、離婚した両親と離れてメキシコの海辺の別荘に2人だけで暮らしていた。バレリアは同じ年の彼氏との間に子どもを身ごもっていた。そこに疎遠だった母アブリルが突然やって来る。身重のバレリアの世話を焼くアブリルだったが…。
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(レビュー) 一般的に世間では子供に不幸をもたらす親を”毒親”と呼ぶそうだが、本作に登場するアブリルも正にその”毒親”と言えよう。
最初はバレリアに寄り添いながら母親らしく色々と世話をするのだが、ある時からガラリと態度を豹変させ、彼女から赤ん坊を奪い取ってしまうのだ。彼女の常軌を逸した行動はそれだけでは終わらず、更にバレリアを不幸へと追い詰めていく。何と恐ろしい母親だろう…。
まずは何といても、このアブリルという母親のキャラクターが強烈である。
監督、脚本は
「父の秘密」(2012メキシコ)で異常な父性愛を描いたミシェル・フランコ。本作では暴走する母親の愛憎を「父の秘密」同様、ドキュメンタリックなスタイルで撮っている。説明的なセリフを削ぎ落してBGMも一切かからないというミニマルな語り口が徹底されており、一見すると地味だが、つぶさに見て行けば非常にスリリングに楽しめる作品である。
例えば、冒頭の人物紹介のシーン。穏やかな朝の風景の中に全裸のバレリアが登場して大きなお腹を奔放に見せる。かなり衝撃的なオープニングシーンだが、これだけでバレリアの妊娠が一発で分かり、尚且つ彼女の性格も掴めるようになっている。
あるいは、アブリルがバレリアの赤ん坊をレストランに置き去りにする終盤のシーンは、1シーン1カットでじっくりと切り取られている。その場の空気感を生々しく映し出すことで、観る側は否応なくこの現場の”目撃者”にさせられてしまう。おそらくミシェル・フランコ監督は確信犯的に長回しを使っており、この意地の悪さはかなりのものだ。観ているこちらは、非常に居たたまれない気持ちにさせられる。
このようにフランコ監督は一つ一つのシーンをかなり念入りに計算して撮影しており、それらが全てスリリングで、且つじっくりと熟成したような味わいが感じられる。緻密な演出力は「父の秘密」から更に磨きがかかっているという感じがした。
それにしても、アブリルは何を考えて、こうした常軌を逸した行動に出たのだろうか?映画を観ても容易に答えは明示されないので想像するほかないが、自分は長女クララの存在にそのヒントがあるように思った。
クララはバレリアとは対照的に容姿は決して良いとは言えない。また、陽気なバレリアとは正反対で性格も内向的で無口だ。アブリルに対しても常に従順であり、当のアブリルもそんな彼女を可愛がっている。実の娘なのだから当然という気がするが、それにしたってバレリアに対する態度とはまっく違う。
ここから考えるに、アブリルはクララに対しては普通に母親として接することはできるが、バレリアに対してはそれができない。つまり、彼女は母親としてというより、一人の女としてバレリアに嫉妬していたのではないだろうか?
アブリルが、クララとバレリアに見せる顔はまったく異なる。その表裏の顔から、彼女がどういう感情で数々の凶行に出たのか、何となく読み解けるような気がした。