「沈黙 -サイレンス-」(2015米伊メキシコ)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 17世紀、日本で布教活動をしていたポルトガル人宣教師フェレイラが、キリシタン弾圧を進める幕府の拷問に屈して棄教したという知らせがローマに届いた。弟子のロドリゴとガルペが真相を確かめるべく日本へと向かう。マカオで出会った日本人キチジローの手引きで長崎の隠れキリシタンの村に潜入した彼らは、村人たちに匿われながら調査を進めていくのだが…。
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(レビュー) 遠藤周作の小説「沈黙」を巨匠M・スコセッセが映像化した作品。
同原作の映像化は約30年前から熱望していたということで、氏にとっては念願の企画と言えるだろう。彼は元々敬虔なカトリック信者なので、この題材には一方ならぬ思いがあったに違いない。その思いは画面から熱量高く伝わって来た。宗教と人間と政治の関係に大胆に切り込んだ意欲作のように思う。歴史劇ならではの説得力も十分に備わっており、ラストには何とも言えない感動をおぼえた。
最終的にはああいう結末になってしまったが、人の心までは支配できないという希望のようなものが感じられたのは良かった。
尚、同原作は1971年に日本でも篠田正治の手によって「沈黙 SILENCE」(1971日)のタイトルで映画化されている。自分はそちらを先に鑑賞済みである。そちらも中々の力作であり、とりわけ馬を使って棄教を迫るシーンはトラウマシーンとして脳裏に焼き付いている。
本作は日米の名優が顔をそろえる豪華キャストも見応えがある。
特に、ロドリゴを演じたA・ガーフィールドの熱演が素晴らしい。周囲の信徒が次々と倒れていく中、自らの非力さに心を痛め神に助けを求める姿が胸を打つ。彼は同年製作の
「ハクソー・リッジ」(2017米)にも主演しており、決して銃を持たない戦場衛生兵という難役を好演している。ストイックなまでの宗教観に捕らわれた悲劇の英雄というキャラクター性は、ある種本作のロドリゴにも通じるような役所で、両作品の彼を見比べてみると興味深いかもしれない。
日本側のキャストでは通辞役を演じた浅野忠信が良かった。彼は海外の作品に多数出演しているので英語のセリフも自然に聞ける。外国人俳優に交じっても堂々とした演技を披露している。
キチジローを演じた窪塚洋介も印象に残った。命欲しさに踏み絵を何度も繰り返す、ある意味で人間の弱さを体現したようなキャラクターである。普通であれば見下げ果てた愚者と一蹴すべきだが、どこかユーモアがあって捨て置けない存在で印象に残った。
逆に、井上筑後守を演じたイッセー尾形は大仰で受け付けなかった。ほとんどコメディのようにしか見えず残念である。
スコセッシの演出は軽快でとても観やすい。2時間40分を超える長尺な作品だが、その長さを感じさせないほどストレスフルに観ることができた。正にベテランの妙味といった所だろう。
しかも今回は多くの日本人俳優を起用しており、撮影現場ではコミュニケーションもままならなかったのではないかと想像する。大変難しい演出だったろうが、そうした障害を一切感じさせないあたりは見事である。
尚、劇中に溝口健二監督の名作「雨月物語」(1953日)を彷彿とさせるシーンが登場してクスリとさせられた。具体的には、ロドリゴが霧の中を船で渡って五島へ赴くシーンである。スコセッシは過去に溝口監督の「雨月物語」(1953日)、「山椒大夫」(1954日)、「近松物語」(1954日)の4Kデジタル修復版に協力した経緯がある。おそらく相当、溝口監督をリスペクトしているのだろう。そんな二人の関係を知っていると、このオマージュは微笑ましく観れる。
強いて不満を挙げるとすれば1か所だけ。茂みに隠れたロドリゴとガルペが、長崎奉行の取り調べを受ける村人たちを遠目に眺めるシーンである。存外近い距離で見つかりそうだったので、もっと距離を置いたほうが良かったのではないかと思った。