「沈黙」(1962スウェーデン)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 翻訳家をしている独身女性エステルは妹アンナとその息子ヨハンと汽車で旅行に出かけていた。途中でエステルが身体の不調を訴え見知らぬ町で降りる。ホテルの部屋で休養を取るエステルだったが、孤独に耐えかねて酒と自慰に耽る日々に溺れるようになる。一方、アンナは夜の町で男を探し求めて自室に連れ込むようになる。ある時それをヨハンに見られてしまい…。
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(レビュー) 禁欲的な姉と奔放な妹の愛憎を息苦しく虚無的に描いた人間ドラマ。
スウェーデンの巨匠I・ベルイマン監督による「鏡の中にあるが如く」(1961スウェーデン)、「冬の光」(1962スウェーデン)に続く「神の沈黙」三部作の第3作にあたる作品である。
エステルは持病を患っており、常に倦怠感に捕らわれながら陰鬱な日々を送っている。そのため仕事も上手くいかず、つい酒に溺れるようになってしまう。しかも、身近な妹アンナもそんなエステルの介護そっちのけで外に出て男漁りを始める始末。誰も話し相手になってくれる人がおらず、どんどん自暴自棄になっていく。
アンナもアンナで、気難しい性分のエステルの面倒をずっと見てきて嫌気がさしたのだろう。ここにきて我慢も限界に達したのか「早く死んでほしい」とまで愚痴るほどである。そして、エステルを放ったらかしにして一夜のアバンチュールで気分を晴らす。
犬猿な姉妹の間に挟まる幼いヨハンもまた不幸と言えば不幸である。母アンナと叔母エステルに構ってもらえず、仕方なくホテルの住人たちとの交流で寂しさを紛らすしかない。
三者三様、ひたすら孤独の殻に閉じこもる陰鬱なドラマである。観てて非常に辛い気持ちにさせられるが、ベルイマンは生涯通して人間の孤独をテーマにしてきた映画作家である。そのライフワークがこの「神の沈黙」三部作で結晶化したと思えば、氏の表現者としての思いは存分に感じ取れる。
ただ、「神の沈黙」シリーズと言われても、作中には具体的に神についての言及は一切出てこない。そこには少々戸惑いを覚えた。
物語の舞台は言葉が通じない東欧の某国で、エステルたちは周囲とボディランゲージでコミュニケーションを取っている。エステルとアンナもほとんど言葉交わさない。タイトルの「沈黙」(原題:「TYSTNADEN」)とは言い得て妙だと思うが、ではそれが「神の沈黙」だと言われても今一つピンとこなかった。
また、本作では姉妹の対比を描く一方で、ヨハンのホテル内での行動が挿話される。ホテルに滞在する客たちとの交流が微笑ましく描かれており、姉妹の隠滅なドラマとは対照的で一服の清涼剤的な役割りを果たしていて面白く観れるのだが、これもテーマを語る上でどこまで必然だったかは疑問に残る。
尚、ラストが実に意味深で印象に残った。果たしてアンナはあのメッセージを受け取ってどう思ったのだろうか?そしてそんなアンナを見つめるヨハンの冷たい眼差しの意味とは?これらが作品に奇妙な余韻をもたらしている。色々と考察のしがいがある映画だった。