「マンディンゴ」(1975米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 19世紀半ば、ルイジアナ州の農園主マクスウェルと息子ハモンドは黒人奴隷を従えて裕福な暮らしを送っていた。ある日、ハモンドは名門の娘ブランチと結婚する。しかし、彼女が処女でなかったために愛情を持てなくなり、代わりに彼は奴隷の黒人女を抱くようになる。
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(レビュー) 裕福な白人一家に起こる悲劇的運命を鮮烈なシーンを交えて描いた問題作。同名ベストセラーの映画化である。
黒人奴隷を家畜のように描いているということで、当時はかなり物議を醸したということだが、確かに今見ても衝撃的な映像が次々と出てきて驚かされる。ただ、今もって消えることのない黒人差別を考えれば、これは氷山の一角にすぎないのではないかという思いにもさせられた。それだけ黒人差別に関する問題は根深い。
物語はマクスウェル家の日常を中心にした華族のドラマとなっている。とはいっても、彼らは凋落真っただ中にあり、長男ハモンドは借金返済の肩代わりとして名門の娘ブランチと結婚させられる。ところが、これが更に一家に不幸をもたらすことになってしまう。ハモンドは黒人奴隷エレンと関係を持ち、それに嫉妬したブランチも当てつけと言わんばかりにハモンドが買い入れた逞しい黒人奴隷を誘惑し始める。
華族の崩壊というありふれた物語だが、先述したようにそこで行われる黒人に対する差別は凄惨極まりない。
例えば、マクスウェルに仕えるメイドは24人もの子供を出産させられている。そして、彼女が生んだ赤ん坊は新しい奴隷として育てられるのだ。黒人奴隷には人権などどこにもなく、彼らは家畜と一緒で幾世代にも渡って奴隷としての宿命を背負わされているのである。生まれてきた赤ん坊を『黒い虫』呼ばわりするのには流石に自分も引いてしまった。
他にも、黒人は臭いという理由で2週間も風呂に入れたままにされられたり、リウマチに悩まされるマクスウェルは病を移すために両足を黒人の子供の腹の上にのせたり、文字が読めるという理由で逆さづりで鞭を打たれたり等々。観てるだけで非常に辛いものがある。
そんな中、物語はハモンドの葛藤を軸に展開されていく。
彼は親が決めた結婚相手ブランチに愛情を持てず、衝動的に黒人奴隷エレンを抱いてしまう。初めはただの性のはけ口のつもりだったが、いつしかそれは本物の愛情へと変わっていく。そして、白人としてのアイデンティティー、父からのしかかるプレッシャーと格闘していくようになるのだ。
監督はR・フライシャー。「トラ!トラ!トラ!」(1970米日)や「ミクロの決死圏」(1966米)といったエンタテインメントを撮らせれば随一の職人監督であるが、その一方で本作のような社会に一石を投じる問題作も撮り上げる名匠だ。T・カーティスの怪演が印象的だった「絞殺魔」(1968米)も連続殺人鬼の内面に意欲的に迫った衝撃作だった。
尚、フライシャーは本作を表して「この映画をウェディングケーキのように美しくロマンチックに描きたかった。でも近寄ってよく見るとケーキは腐ってウジだらけなんだ。」と語ったそうである。このコメントから、彼は相当の皮肉を込めて本作を撮ったことがよく分かる。
本作は映画公開時のポスターもかなり物議をかもしたそうである。検索をすればすぐに出てくると思うが、明らかに「風と共に去りぬ」(1939米)のポスターのパロディである。フライシャーの「風と共に去りぬ」に対する批判がそこから読み取れる。
誰もが認める歴史的名作「風と共に去りぬ」だが、最近、意外な形で大きくクローズアップされたことは記憶に新しい。2020年に全米で起こった黒人抗議デモ運動をきっかけに一時配信停止に追い込まれてしまったのだ。要は、この映画は黒人奴隷の悲惨な実態を無視して白人に仕えることがさも当然であったかのように描いている…ということが問題視されたらしい。その後、劇中の描写について説明のテロップを出すことで公開が再開されることになった。
この事例が示すように、今もって黒人差別は現在進行形で続いている問題なのである。かつての名作がこうした形でやり玉に挙がってしまったことは何とも残念なことだが、その問題提起をフライシャーはこの「マンディンゴ」ですでにやっていたわけである。
製作はイタリアの重鎮ディノ・デ・ラウレンティス。大作からB級映画、センセーショナルな話題作まで、様々な作品を手掛けてきた名物プロデューサーである。初期時代こそフェリーニの「道」(1954伊)などの名作を手掛けていたが、後年になるほど「映画」=「興行」というスタンスで山師的なプロデュースに傾倒していった。その流れからすると、本作もある種見世物映画的なスタンスで捉えることが可能である。
それを最も強く感じるシーンば、後半の黒人奴隷同士を戦わせる格闘場の場面である。ここはドラマ的にはさほど重要というわけでもないのだが、必要以上に過激なバイオレンス描写にこだわって撮られている。
こうしたことから、一部の人々の間では、テーマに真摯に向き合っていないという意見が出ている。確かにそうした向きもなくはない。