「野のなななのか」(2013日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 風変わりな古物商“星降る文化堂”の老主人、鈴木光男が他界し、散り散りに暮らしていた鈴木家の面々が葬儀のために集まってきた。そこに清水信子という謎の女性が現れる。実は、光男の孫娘カンナは彼女のことを幼い頃から知っていた。彼女は祖父と信子の関係を回想していく…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 一人の老人の死生観を通して、過去の戦争体験、過疎化していく農村社会、離れ離れになった家族の再生をドラマチックに描いた人間ドラマ。
監督、脚本は大林宣彦。本作は氏の
「この空の花 長岡花火物語」(2012日)に続く地方都市を舞台にした”戦争三部作”の2本目にあたる作品である。
今回の物語の舞台となるのは北海道の芦別市である。ここはかつて炭鉱村として栄えた場所だが、今ではすっかり錆びれてしまい、過去の賑わいはすでに失われてしまっている。物語はそこに住む鈴木家の面々を軸にしながら展開される。
まず、映画序盤から短いカッティングと早口のセリフの応酬という大林監督らしい演出で開幕する。前作「この空の花~」の時にも、その若々しい感性に驚かされたが、今回もそれに負けず劣らずエキセントリックな演出が横溢する。とても70代とは思えぬ瑞々しい感性が全体からほとばしっている。
また、明らかに合成と分かる背景のはめ込みや過剰なまでの色彩設計も、いかにも大林流である。特に、時折挿入される音楽隊の行進映像は強烈なインパクトである。メインテーマを奏でる彼らの存在が、映画の世界観をもはや異次元へと誘い、観ているこちらのイマジネーションを喚起してくる。徹頭徹尾、観る側を楽しませようという大林流エンタメの真骨頂を思う存分楽しめた。
映像ばかりに目が行きがちな作品であるが、物語の方も中々ミステリアスに盛り上げられていて最後まで面白く追いかけることが出来た。
ここでキーとなるのは、やはり信子の存在である。彼女と光男の関係は一体何なのか?それを狂言回しであるカンナの目線を通して紐解いていくという構成になっている。
後半から光男の回想で明らかにされる戦時の悲恋が信子という女性の正体を炙り出していくが、この構成も見事である。そこには光男の初恋の女性に対する憧憬が隠されており切なく感じられた。
かつて淡い思春期時代の初恋をノスタルジックに描いてきた大林宣彦らしいタッチがまったく衰えることなく再現されていることに感動を覚える。これぞ大林作品の醍醐味であろう。
また、前作同様、本作は反戦というメッセージが強く押し出されており、そこも十分に伝わってきた。以前見たNHKのドキュメンタリー番組でも氏は熱く反戦を訴えていたが、「この空の花~」、本作、そして次作「花筐/HANAGATAMI」(2017日)の3作品は晩年の”戦争三部作”とも言われており、大林監督の表現者としての最後のメッセージ映画と言える。
ただ、前作「この空の花~」に比べると、物語がかなり多岐にわたって展開されており、やや持て余し気味という印象も持った。今回も3時間弱という大作であり、その長さをもってしても内容の詰め込み過ぎ感は拭えない。もし反戦というメッセージをメインテーマにしたいのであれば、光男の回想を軸にドラマを構成すればいいのであって、そこに鈴木家の悲喜こもごものドラマがどこまで必要だったかは疑問に思う。登場人物を削って構成をスッキリすることで、前作同様の力強さを持った作品にすることも可能だったはずである。現状では残念ながらそこまでのパワーは感じられなかった。
芦別市の過疎化を憂うセリフが終盤に出てくるが、これも当然訴えたいことの一つなのだろう。しかし、ドラマの比重としてはそこまで重視されておらず、どうしてもメッセージとしては弱く感じられてしまった。
前作に続いて語られる反原発も然り。これも監督の主張だということは、前作を観ているから分かるのだが、果たして今回のドラマの中からその主張が自然と発せられているか、というと疑問である。
ちなみに、終戦後もソ連の侵攻で樺太が交戦状態にあったということは、歴史的事実として無視できないものがある。本作ではそれは光男の初恋の中で描かれていたが、過去には
「ジョバンニの島」(2014日)というアニメ映画でも描かれていた。このエピソードもまた、戦争の記憶を後世に残すべく大林監督が努めて描こうとした一つだろう。