「愛の嵐」(1973伊米)
ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 1957年のウィーン。ナチスのSS隊としてユダヤ人を迫害したマックスは、現在はホテルのフロント係として働いていた。そこにかつて肉体関係を強要したユダヤ少女ルチアが客としてやって来る。彼女は今では高名な指揮者の妻となっていた。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 性愛に溺れた男女の末路を退廃的な雰囲気で綴ったエロティック・ロマンス。
物語は現在と過去を交錯させながら静かに進行する。とりとめもないメロドラマと言えるが、ルチアを演じたS・ランプリングの体を張った熱演が素晴らしく、彼女のおかげで最後まで面白く観ることができた。
特に印象深かったのは、ランプリングが上半身裸にサスペンダーのズボンを履いた格好で歌い踊るシーンである。ナチスの将校の視線に晒されながら堂々とした振る舞いを見せるその姿は、迫害されたユダヤ人のささやかなる”抵抗”に見えた。と同時に、ランプリングのあばら骨が浮くほどのスレンダーな体型に哀れさも覚える。何とも言えない残酷さと隠微さが漂うデカダンな雰囲気が本作を象徴している。
ランプリングは映画公開時には27歳という年齢だった。この年齢でこの妖艶さと少女時代の儚さを自然に演じ分けていることに驚かされる。正に本作は彼女なしに語れない作品と言って良いだろう。
終盤にかけてマックスとルチアの関係は徐々に破滅の一途をたどっていくようになるのだが、そこで見せるランプリングの空虚な表情も悲しみに溢れていて素晴らしかった。
この頃になると、おそらくルチアの中には人としての感情と言ったものはほとんど無くなっていたのかもしれない。マックスに対する愛だけが彼女を生かしている。そんな気がした。
そして、本人たちにとってこのラストが本望だったかどうかは分からないが、少なくともどこかでこうなることを気付いていたのではないか…という気もしてしまう。
そもそもマックスにとってルチアは最愛の女性であると同時に、元SSだった自分の立場を危うくする”生き証人”でもある。元来、愛してはいけない女性だったのだが、それでも彼はルチアに対する想いを捨てきれなかった。愛してはいけない女性を愛してしまったのだから、どういう末路を辿るかは承知していたことだろう。したがって、このラストは当然の帰結という感じがした。
尚、この映画を観終わって
wikiを調べてみたところ、映画を観ただけでは気付かなかった解説があったので、興味があればぜひ読んでみて欲しい。まさかマックスがイタリア現代史を体現したキャラだったとは思いもよらなかった。
一見するとソフトポルノを売りにした作品という見方ができるが、かなり政治的な暗喩も込められているようである。