「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(2019日)
ジャンルファンタジー・ジャンル戦争
(あらすじ) 尾道で長年愛され続けてきた古い映画館が閉館を迎えることになった。その最終日、日本の戦争映画大特集のオールナイト上映が始まる。そこに毬男、鳳介、茂といった3人の若者たちがやって来る、彼らはスクリーンの映画女優に誘われながら、突然映画の世界にタイムリープしてしまう。
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(レビュー) ”戦争三部作”を世に送り出した大林宣彦監督が最後に撮り上げた作品。3人の若者が映画の世界に入り込み、様々な戦乱を駆け巡るファンタジー作である。”戦争三部作”同様、反戦メッセージがダイレクトに発せられており、氏の晩年の思想が見事に貫徹された遺作となっている。
何と言っても冒頭から驚かされる。宇宙空間にのんびりと浮かぶ宇宙船。これはSF映画だったのか…と度肝を抜かされた。
以降も破天荒な大林演出は頻出する。映画館にやってきた3人の若者、毬男、鳳介、茂は、人気若手女優、希子に誘われる形でスクリーンの中に入り込み映画の中の大騒動に巻き込まれていく。
主人公が映画の世界に入り込むと言うと、バスター・キートン主演の「キートンの探偵学入門」(1924米)やウディ・アレン監督の「カイロの紫色のバラ」(1985米)が思い出される。いずれも虚実の境界の超越に映画的興奮を覚える快作だが、ここでも同様のカタルシスは感じられる。かつて映画少年だった大林監督のロマンティズム溢れる”映画愛”の発露にどこか親近感を覚えた。
もっとも、今回上映されるプログラムは日本の戦争映画大特集である。上映されるのは戊辰戦争や日中戦争、太平洋戦争といった戦乱を描いた映画ばかりで、かなりシビアな内容である。先述したキートンやウディ・アレンのような明朗なコメディとは一線を画した重苦しい作りで、3人の若者たちは多くの人命が失われる惨たらしい戦場に身を置きながら、戦争の理不尽さ、悲惨さに憤りを覚えていく。
戦争映画=娯楽という側面は確かにある。しかし、その一方で本当の戦争を伝える戦争映画というのもあって、大林監督はそちらを描きたかったのだろう。
戦争を語る人間が少なくなっている今の世の中で、大林監督は映画を通してそれを試みているように思えた。
映画は未来に残るメディアである。そして、映画は観た人の人生を変えるだけの力を持っている。その力を信じて、氏は先の”戦争三部作”と本作を作ったはずに違いない。少なくとも自分にはそう思えた。
ただ、本作にはアクション、ロマンス、ミュージカル、コメディといったエンタテインメントの要素が多分に盛り込まれている。大林監督らしいエッジの利いた演出も横溢するし、シリアスなテーマのわりにどこか能天気に観れてしまう向きもあるので、非常にクセの強い作品であることは確かである。
映画そのものの出来も、はっきり言うと前の”戦争三部作”の方が勝っているように思った。今回の3人の若者たちはバックストーリーが希薄でキャラクター的な魅力に乏しい。また、全体を通して1本芯の通ったドラマというのも、本作の場合は存在しない。3人の若者たちの戦争追体験ドラマとしてはいささか情緒に欠けるし、結局戦争の歴史を勉強するというスタンスで観るのがちょうど良いのかもしれない。
自分は、終盤に登場する広島の”桜隊”を本作を観て初めて知った。会津の白虎隊と共に戦った女性だけで構成された”娘子隊”の存在も初めて知った。靖国神社には朝鮮出身の兵士たちも祀られていること。軍艦マーチの替え歌「ジャンジャンジャガイモさつまいも~♪」等。様々な事を本作を通して知ることができた。自分にとっては非常に学びの多い映画となった。
キャスト陣については大林作品史上最も豪華であろう。多くの俳優やタレントがチョイ役で登場しており、闘病の中で映画を撮り続けた監督にエールを送っているかのようである。改めて大林監督の人望の厚さが伺える。
ちなみに、主役3人の役名がマリオ・バーヴァ、フランソワ・トリフォー、ドン・シーゲルといった名だたる映画監督の名前をもじったものであることを後で知った。トリフォーはともかく、ああ見えて大林監督は意外にB級映画嗜好者だったことがよく分かる。このチョイスに監督のこだわりが感じられた。