「止められるか、俺たちを」(2018日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 1969年、21歳の吉積めぐみは、ピンク映画の旗手・若松孝二率いる若松プロダクションの門をたたき映画の世界に入った。周囲の若い才能に囲まれながら助監督としての日々をこなすうちに、自分も映画を撮りたいという衝動に駆られていく。
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(レビュー) 映画の世界に飛び込んだ一人の女性の生き様を、周囲の人間模様を交えて描いた青春群像劇。
若松孝二は様々な問題作を撮り上げたことで知られる日本のインディペンデント映画界の雄である。彼の元には本作で監督を務めた白石和彌や脚本を手掛けた井上淳一もいた。その他にも様々な映画人を輩出しており、氏の日本映画界における貢献度は相当に大きいように思う。
そんな若松監督は2012年に不慮の事故で亡くなってしまった。享年76歳。本人の中ではまだやり残したことはたくさんあっただろう。その無念の思いを考えると実に残念である。
ただ、こうして彼の死を偲んで集まったかつての弟子たち、スタッフによって作られた本作を観ると、彼のDNAは確実に受け継がれているような気がする。ある意味で、本作は若松孝二追悼の意味合いも込められた作品のように思う。
その証拠に、劇中には若松作品のオマージュがふんだんに登場してくる。自分は彼の作品をすべて観ているわけではないので、分からないものもあったが、
「ゆけゆけ二度目の処女」(1969日)が出てきて嬉しくなった。
物語は、めぐみの目線を通して描かれる群像劇となっている。先述したように、監督の白石和彌も脚本の井上淳一も若松監督に師事していたので、今回の物語には多分にリアルな事情が織り込まれていることは想像に難くない。ただ、まさかめぐみ自身にもモデルがいたということを後で知って驚いた。てっきり白石監督が自己投影した想像上のキャラクターだと思っていたので、これは意外だった。それくらい、めぐみの半生はドラマチックなものである。
他にも本作には実在の人物がたくさん出てくる。赤塚不二夫、大島渚、足立正生、大和屋竺、沖島勲、荒井晴彦等々。夫々に個性的で、いわゆるバックステージ物として見ても大変面白い映画になっている。
例えば、若松孝二が大島渚に政治映画製作の相談を持ち掛けるシーンや、ATGのプロデューサーから勧誘されるシーン。足立正生が連合赤軍に合流していった過程、大和屋竺が「ルパン三世」の脚本を書いて若松プロと距離を置いた経緯等、どれも興味深く観れた。若かりし荒井晴彦が若松孝二と行動を共にしていたというのも意外であった。
周囲の人間模様ばかりに目が行きがちだが、主人公めぐみのドラマも後半から熱を帯びてくる。
映画を撮る情熱は誰にも負けない彼女は、若松にチャンスを貰いピンク映画を撮らせてもらうことになる。しかし、残念ながら作品の出来栄えは、師匠の期待を大きく裏切るものだった。次第に自信を無くしていくめぐみ。やがて”ある事情”によって、その苦悩は更に深まっていく。しかして、その顛末には実にやるせない思いにさせられた。
めぐみを演じた門脇麦の好演も素晴らしかった。彼女を初めて見たのは
「愛の渦」(2014日)だが、その時の体当たりの熱演は実に見事なものだった。今回のバイタリティ溢れる役柄もそれに近いものが感じられ、改めて彼女の力量に唸らされた。
一方で、若松孝二役を務めた井浦新の造形はかなりカリカチュアされてしまった印象を受ける。敢えてユーモラスに造形している節も見受けられ、それが作品全体にフィクショナルなトーンを持ち込んでいるような気がした。
ATGの映画などを観ると分かるが、60年代末から70年代初頭という時代は、ある種若者たちにとっては暗く鬱屈した時代だった。今回の井浦新による造形が、この物語をどこか屈託なく観れる爽やかな青春映画にしている面があり、それはそれで大変観やすくて良いのだが、時代を描くという意味においては、これは功罪あるように思った。