「アマンダと僕」(2018仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) パリのアパートで住み込みとして働く青年ダヴィッドは、ひょんなことから知り合ったレナと恋に落ち幸せな日々を送る。そんなある日、仲の良かった姉が無差別テロに巻き込まれて亡くなってしまう。悲しみに暮れるダヴィッドだったが、一人遺された7歳の姪アマンダを引き取ることになり…。
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(レビュー) 無差別テロで母を亡くした少女を引き取ることになった青年の葛藤を静謐に描いたヒューマンドラマ。
多民族が共存するアメリカやヨーロッパ、中東アジアでは、こうしたテロ事件は、おそらく身近なものとして捉えられるのだろう。今回の事件も移民によるテロだった。日常生活の中で突然起こる可能性もあり、これは本当に恐ろしいことだと思う。安穏と暮らしている我々日本人には想像しにくいかもしれないが、過去にはサリン事件も起こったわけで、決して他人事ではないような気がする。
ただ、本作では無差別テロ事件の背景については詳しく語られていない。おそらくここを深く突っ込んで描けば社会派作品としての重厚さが出たであろうが、この監督は敢えてそこを軽くスルーすることで、誰にでも起こりうる普遍的なドラマに仕立てている。
演出は非常に淡々としておりミニマルに徹している。地味な印象だが丁寧な作りが好印象で、ダヴィッドとアマンダの微妙な距離感が中々上手く描けていると思った。悲しみを乗り越えて徐々に再生の道を歩もうとする二人の絆が感動的に観れた。
一方、ダヴィッドとレナの関係についてはメインのドラマとは別口で語られており、サイドストーリー的な扱いになっている。こちらも今回のテロ事件に大いに関係するもので、ある意味では事件の副産物、もう一つの悲劇という捉え方もできる。事件の大きさを如実に表したエピソードで、安易に幸せが訪れない所がリアルに感じられた。
本作で唯一不満に思ったのは、ダヴィッドと母親の関係に迫りきれなかった点である。実はこの母子は長年にわたって疎遠であり、その原因が不鮮明で観てて余り関心が持てなかった。おそらくここにも何らかのバックストーリーが隠されているのだろうが、想像できるほどの背景描写がないため、結果的に中途半端なものに感じられてしまった。姉とアマンダ親子の絆の喪失というメインのドラマを味わい深くするための”補完役”として成立させる方法もあったと思うのだが、そこまでの深みに至っていないのが惜しまれる。