「風の電話」(2020日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東日本大震災で家族を失い、いまは広島に住む伯母の家に身を寄せている高校生のハル。深い傷を抱えながらも徐々に日常を取り戻し始めていたある日、叔母が倒れて入院してしまう。悲嘆に暮れるハルは道端で気を失ってしまう。そこを偶然通りかかった男性に助けられるのだが…。
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(レビュー) 東日本大震災で被災した少女が故郷である大槌町を訪れる中で、少しずつ成長していく青春ロードムービー。
ハルを演じたモトーラ世里奈の存在感に支えられている映画と言う気がした。彼女についてはまったく予備知識がなく、映画を観終わって興味が湧いて調べてみたが、どうやらモデル出身のハーフということで、その風貌は唯一無二と言って良いだろう。自身がコンプレックスだという、そばかすが逆にいい意味で彼女の個性になっており、こういう女優は日本には中々いないのではないだろうか。終始愁いを帯びた眼も独特である。
物語は割とストレートな喪からの再生ドラマとなっている。また、ハルの置かれている状況から、東日本大震災についての映画という言い方もできると思う。
また、タイトルにもなっている「風の電話」は実際に岩手県大槌町に存在するということだ。自分もニュースなどで見たことがあるので知っていたが、それがこの物語の終盤のキーになっていく。今でも多くの人がそこに訪れているということで、そうした人たちのために作られた映画と言うこともできるかもしれない。
監督、共同脚本は日本のみならずヨーロッパでも活躍している諏訪敦彦。初期作品「M/OTHER」(1999日)もそうだったが、基本的に即興演出とロングテイクを信条とする作家である。今回もドキュメンタリーを見ているような感覚に捉われる場面が幾つかあった。
例えば、ハルが途中で出会う森尾と一緒にクルド人一家に招かれるシーンは、セリフを喋らされているというよりも、その場で生まれた言葉による会話という感じがした。
劇中にはハルの慟哭が2度あるが、これもやはり台本に書かれていたというよりもモトーラ世里奈がその場で即興的に演じているように見える。クライマックスの”風の電話”での演技も生々しいリアリティが感じられた。
こう言ってしまっては何だが、今回の物語は再生ドラマとしては実に凡庸で、描き方次第ではつまらない作品になっていた可能性もある。ハルが出会う人たちが善人ばかりなのも、リアリティと言う観点からすれば物足りなさを覚える。そもそも家出少女が行方不明ということ自体が大問題なわけで、そこに関してあまり触れられていないのもモヤモヤとしてしまう。
ただ、こうした作品としての問題点を諏訪監督のドキュメンタルな演出がすれすれのところで回避しているのも事実で、そこが本作の”肝”になっているような気がした。そういう意味では、諏訪監督の演出力の勝利という感じがした。
そんな中、ハルが生前の家族の幻影と邂逅するシーンは、幻想的なタッチが入り混じった場面で印象に残る。ドキュメンタリーとフィクションの中間といった感じの絶妙な演出の妙に痺れた。
逆に、シナリオ、演出で気になった点が二つある。
一つ目はクルド人一家との交流エピソードである。これは移民が置かれている苦しい現状というかなりヘビーな問題をはらんでおり、若干メインのドラマの邪魔になってしまった感じがする。本来であれば作品と切り離して語るべき問題だったのではないだろうか。
もう一つは、ハルの慟哭が2度登場するが、これが実に勿体なく感じられた。確かに1度目の慟哭には彼女の深い憤りと悲しみが伝わってきて引き込まれたが、それと似たシチュエーションと同じ演技で繰り返される2度目の慟哭はいささか興ざめしてしまう。ハルの慟哭を後半に取っておくか、2度目の演技を変えてあげるなどの工夫が必要だったのではないだろうか。