「さらばアフリカ」(1966伊)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 白人社会から脱却していくアフリカ黒人の姿を描いたドキュメンタリー。
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(レビュー) 「世界残酷物語」(1962伊)や「続・世界残酷物語」(1963伊)で注目されたモンド映画の巨匠グァルティエロ・ヤコペッティが、白人の支配から解放されていくアフリカ大陸を圧倒的スケールで3年という歳月をかけて捉えたドキュメンタリー映画。
ヤラセもたくさんあるのがこの監督の作品の特徴で、そういう意味では純粋にドキュメンタリーという括りに入れにくい作品である。しかし、「世界残酷物語」や「続・世界残酷物語」によって確立された彼の作風は、本作ではよりシビアに風刺を効かせており、たとえヤラセと言えど強い意思表示が感じられる。エンタメ精神が旺盛で、つい盛ってしまうのが玉に瑕だが、白人による支配がアフリカ大陸にもたらした功罪を真摯に問うているような気がする。ヤコペッティは根本的にジャーナリスティックな姿勢を持っていることは間違いない。
実際、虚実入り混じった映像の数々に最後まで面白く観れる作品である。思わず笑ってしまうような、明らかなヤラセもあれば、どこまで本物でどこまでが偽物かハッキリとしないような箇所もある。それらすべてをひっくるめて、いかにもヤコペッティ印な作品になっている。
例えば、ザンジバルでアラブ人の村を焼き払って大量虐殺するシークエンスなどは、ほとんどの死体がうつぶせになっていることを考えればヤラセではないかと思われる。もしそうだとしたら、これだけの大量のエキストラを使って本気で捏造映像を作ったヤコペッティのエンタメ精神には、賛否は置いておくとして、参りましたというほかない。
他にもこの映画の中には色々とヤラセらしきものがあって、模擬キツネ狩りのシーン、村人たちによる西洋楽器の演奏シーン、ケープタウンの海岸で戯れる白人女性のシーン、マウマウ団の裁判なども映像やシチュエーションを考えるとヤラセと思われる。
虚実を不明のシーンとしては、ルワンダのフツ族によるツチ族の弾圧は少し判断に迷う所である。大量に切り落とされた手の映像が映し出されるのだが、これなどは作り物にも見えるし、本物のようにも見える。
終盤で描かれるコンゴの動乱も、どちらか分からない。傭兵によって二人の男が銃殺されるシーンをカメラはすぐ近くから捉えている。引きづられる死体を見る限り本物の映像のように見えるのだが、実際にこれが本物だとしたら、すぐ近くで本物の殺人を記録したということで大問題になるだろう。実際、ヤコペッティと撮影クルーは、このシーンで殺人教唆として告訴された。その後、イタリア司法省により却下されたということであるが、それくらい真に迫ったシーンである。
一方で、広大なアフリカの大自然を捉えた美しい景観の数々には、率直に感動を覚えた。幌馬車に乗ったボーア人の旅を捉えた映像、シマウマの子供を吊るしたヘリコプターが夕焼けをバックに飛行する映像等、ネイチャー・ドキュメンタリーのような壮大で美しい映像が心に残る。
また、本作には動物を狩るシーンがたくさん出てくる。象やシマウマ、カバ、鹿、ハゲタカ等、様々な動物が残酷に殺されていく。これらはほぼ実際の映像だろう。動物愛護団体が見ると卒倒するような代物で、自分も見てて嫌な気持ちにさせられたが、これが文明の歴史であるということは否定しようがない事実である。正直な所、言葉も出ない。
ヤコペッティは本作を最後にドキュメンタリー映画を撮るのを辞めて劇映画へとシフトチェンジしていった。おそらく先述の告訴の件もあり、本人の中ではやり切ったということなのだろう。
ただ、彼が残した功績は意外に大きいのではないかと思う。今やヤラセを使ったフェイクドキュメンタリーは続々と作られており、一つのジャンルとして確立された感がある。これら純粋なフェイクドキュメンタリーとヤコペッティのモンド映画は、その意味合いは全く異なるため同列に並べることはできない。しかし、少なくとも彼の一連の作品がなければ、その後の流れは変わっていたかもしれない。そう考えるとモンド映画、とりわけ本作は映画史において大変重要な1本ではないだろうか。