そう言えば、ハリウッドでリメイクされるという話はどこにいってしまったのだろう?
余り情報を聞かないが‥。それはともかく、この作品はやっぱり名作。
「生きる」(1952日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 市役所に勤める渡辺は30年間無欠勤の真面目男。胃がんにかかっていることを知った彼は、同居する息子夫婦に何も打ち明けず大金を持って家を出た。奇妙な巡り合わせで知り合った小説家と夜の歓楽街で羽目を外す。翌朝、帰路で女子社員小田切に偶然出くわす。自由奔放に生きる彼女に、渡辺は自分の姿とのギャップを感じるのだった。
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(レビュー) 余命幾ばくもない中年男が”生”を取り戻していく姿を感動的に描いたヒューマンドラマ。
死生観という極めて重厚且つ普遍的なテーマを扱った作品である。
これを見て思い出したのがI・ベルイマン監督の
「野いちご」(1957スウェーデン)だった。「野いちご」も”死”に直面することで”生”の輝きを取り戻していく物語だった。回顧の中に自分の愚かしさを認識することで新しい自分を発見していく‥という基本的なストーリーは同じである。ただ、「野いちご」は再生のきっかけを見つけ出した所で終わってしまっている。名作ではあるが、個人的には共感しにくいドラマだった。対して、「生きる」の主人公渡辺は「野いちご」の主人公の更に一歩先を行く。実際に行動に移すのだ。こちらの方が個人的には共感しやすい。
何と言っても、渡辺役の志村喬の演技が素晴らしい。鬼気迫る表情、肩を丸めて歩く姿、途切れ途切れの喋り方、渡辺というキャラクターの生い立ち、絶望に瀕した今の心情を見事に捉えきっている。序盤の病院のシーンの演技こそ過度と感じたが、ストーリーが進むに連れて彼の演技は次第に説得力の厚みが増していく。
そんな中、小田切との絡みで見せる笑顔がこれ以上になく絶品だった。ひたすら影を忍ばせたた表情に、こういった明るい顔をポンと出されると感極まってしまう。
監督黒澤明の演出も冴え渡っている。飲み屋のシーンにおける犬の使い方や、喫茶店のシーンにおける喧騒と静けさの対比等、実に心憎い。カットバックで展開される後半の切り出し方などには鳥肌が立ってしまった。
特に、葬儀を舞台にした後半のシーンは神がかっている。重苦しい空気感に支配される場内。目に見えぬこの微妙な空気感までも黒澤演出は描いてしまっているのだ。
実に嫌らしい助役の弁舌、それに頷く部下達、ただうな垂れるしかない親類達。あからさまなお役所体質の批判はやり過ぎという感じはするが、渡辺の生きた証である公園建設という功績を鵜呑みにする理不尽さ、誰もが口をつぐみ悲しみ憂うことしかできない歯がゆさ。そういったやり切れない複雑な感情が見事に描出されている。果たして当人である渡辺が生きていたらこの有様をどう見ただろう?
キャラクターの多彩さにも驚かされる。まず、渡辺が在籍する市民課の面々が皆個性的である。上司の機嫌を取ることしか頭にない者、正義を貫こうとする熱血青年、周囲の意見に流されるお調子者等。思わず「あぁ、いるいる」と言ってしまいたくなるようなキャラクターばかりだ。他にも、自由人気質の小説家やいかにも現代風な女子社員等、展開に欠かせぬ重要な人物も個性的である。楽天家な叔父や役所にやってくるヤクザも、ほんのちょっとの出番しかないにも関わらずそれぞれに存在感がある。緻密な人物造形の賜物によって、これら脇役までもが皆生き生きとしたものになっている。
そんなわけで、見事というほかない名作なのだが、一つだけ物足りない点もあった。それは、渡辺と息子夫婦の関係の描き方についてである。彼等が父の死をどう思ったのかは明確に描かれていない。この辺りのフォローをしてもらえるとこの作品は更に完璧なものになっていただろう。ここは重要な部分だと思うので、もう少し突っ込んで描いて欲しかった。