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生きものの記録

反核メッセージが強烈に出た黒澤作品。
生きものの記録<普及版>生きものの記録<普及版>
(2007/12/07)
三船敏郎;三好栄子;清水将夫;千秋実;青山京子

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「生きものの記録」(1955日)星3
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ)
 戦後10年。東京で町工場を経営する中島喜一は、核に対する強迫観念から放射能汚染が届かない地球の裏側ブラジルに家族全員で移住すると言い出した。息子達から準禁治産者として家庭裁判所に訴えられる。彼は以前にも全財産をはたいて地下シェルターを作ったことがあり、判事は息子達の主張を認めようとする。しかし、歯科医で家裁参与員の原田にはそう簡単に割り切れなかった。喜一の主張が狂ったものに思えなかったのだ。こうして彼は喜一の擁護に回るのだが‥。
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(レビュー)
 1952年、太平洋ビキニ環礁で行われた米軍の水爆実験により、日本の漁船第五福竜丸が放射能汚染に晒された。原爆が投下されてから10年。当時はこういった事件もあって、戦争の傷はまだ癒えてなかったわけである。この映画を見るとそのことが良く分かる。核兵器に対する警鐘というメッセージが作品からダイレクトに伝わってきた。

 監督は黒澤明。後に「八月の狂詩曲」(1991日)で長崎の原爆を取り上げている。彼は終始一貫して反戦を訴えたわけだが、この「生きものの記録」は正にその主張が表れた先駆的な作品だと思う。

 物語は、核の恐ろしさを訴える喜一を狂人扱いする所から始まる。家裁参与員の原田は、彼の言っている事は過剰であるけれども実は正論なのではないか?と考えるようになる。さしずめ現代なら核の恐怖はテロの恐怖に置き換えられるかもしれない。そう考えると平和ボケな現代においても、喜一の主張に一定のシンパシーを覚えることが出来る。

 ただ、どうしても本作は作劇の面で弱さが目立つ。周囲の家族からしてみれば、喜一の独善的な態度、物言いは目に余るものがある。ドラマを語る上で喜一の論に説得性を与えんとするなら、中立的な立場にある原田から見た喜一像を深く掘り下げる必要があったのではないだろうか。そうでないと、本当にただの頭の固い頑固爺にしか見えない。ドラマの視点、作劇に甘さを感じてしまう。

 それよりも、この映画で面白いと思ったのは、中島家の人間関係である。喜一には二人の息子と一人の娘、それとは別に3人の妾とその子供達がいる。窮地に追い込まれていく喜一を案ずるのは、実の息子達ではなく妾の娘の方だったという所が皮肉的だ。形ばかりの家族よりも大事なのは血の繋がりなのではないか?そんなことを考えさせられてしまう。
 血縁の崩壊は「生きる」(1952日)や「乱」(1985日仏)の中にも見い出せるが、これは黒澤明が生涯追い求めたもう一つのテーマと言っていいだろう。クライマックス、焼け落ちた工場を前にして狼狽する喜一の姿は、燃える三の城の前で狂う「乱」の秀虎とダブって見えた。共に血縁の崩壊、家長の失墜を絶望的に見せいている。

(追記)
下記のコメントに指摘されていたように妾の娘ではなくて妾であったことを訂正させていただきます。
そこで改めて考えてみると、妾という他人が喜一を案ずる所に改めて血縁の崩壊という悲しさが見えてくるような気がした。
[ 2008/11/18 00:32 ] ジャンル人間ドラマ | TB(0) | CM(1)

雑感

おじゃまします。
>周囲の家族からしてみれば、喜一の独善的な態度、物言いは目に余るものがある。ドラマを語る上で喜一の論に説得性を与えんとするなら、中立的な立場にある原田から見た喜一像を深く掘り下げる必要があったのではないだろうか。そうでないと、本当にただの頭の固い頑固爺にしか見えない。ドラマの視点、作劇に甘さを感じてしまう。

普通の作劇なら観客に喜一に共感してもらうために、喜一のキャラクター設定はもっと親しみやすい「良い人」にするでしょう。
外に何人も女を作り、子供も産ませるような
我の強い人間像に何故わざわざ設定したのか?むしろ、ここが本作のユニークさであり、すぐれた点なのだと思います。
ありのさんの様に「この爺さんついていけんわ」という反応が返ってくるのが普通でしょう。
観客に安易に「あのおじいちゃん孤立してかわいそう」などと思わせたら、この映画は失敗です。喜一の主張は結局、家族の誰からも理解されない。(妻や娘の態度の変化は、父への愛情が理由であり、その行動を根本から支持した結果ではない)
喜一の主張が最後まで空回りし、発狂にまで至るという点にこそ、本作の作劇の妙があるのだと感じます。
黒澤ははなから、喜一のような主張が世間から受け入れられることはないのだとわかった上で本作を作っているでしょう。
「命あっての物種」という言葉がでてきますが、ほとんどの人間は命よりも今ある豊かな生活の方を優先します。命を危険にさらすものがのど元に突き付けられようが、実際に喉にささるまでは見て見ぬふりをするのだと思います。

>喜一を案ずるのは、実の息子達ではなく妾の娘の方だったという所が皮肉的だ
これは「すえ」のことでしょうか?
そうなら、彼女は喜一の実の娘です。
[ 2012/08/20 19:08 ] [ 編集 ]

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