「プルートで朝食を」(2005アイルランド英)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) アイルランドの片田舎。孤児のパトリックは神父に拾われて、町の中流家庭に養子として預けられた。物心がつく頃、パトリックはテレビに写った女優の美しさに見とれてその真似をする。それ以来、彼は女装癖に快感を覚えていくようになった。高校を出る頃にはすっかり近所でも有名になり、それが原因で義母と喧嘩をして家を飛び出した。そして、本当の母を探しにロンドンに渡った。そこでツアー中のインディーズバンドと出会い、リーダーのビリーと恋に落ちる。ところが、彼はIRAのメンバーと繋がりあり‥。
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(レビュー) 性同一性障害の青年の母親探しの旅を綴った青春ドラマ。
アウトサイダー・パトリックのキャラクターが本作の肝だろう。
彼は神話の聖人”キトゥン”を名乗り女性に変身するのだが、このキトゥンとは人を超越した存在。つまり男でも女でもない聖人である。しかし、いくらキトゥンを名乗って外見を取り繕ってみても、彼の肉体は男のままである。そこにアイデンティティーの混乱、社会から阻害される者としての苦悩が見えてくる。
そして、タイトルにもなっている冥王星=プルートだが、これは彼の世間における立ち位置を表すメタファーになっている。ご存じのとおり冥王星は太陽系の一番外周を回っている星である。惑星か非惑星かの論争が延々と繰り返されてきたが(先ごろ惑星ではないという見解が発表された)、この宙ぶらりんな状態は正にパトリックという人間そのものを示唆するものである。実に皮肉の効いたタイトルである。
性同一性障害というと今では一般的に認知されるようになってきたが、物語の時代にはまだまだ浸透していなかった。パトリックは化け物でも見るかのような冷たい視線に晒される。虐められたり、悲しい目にあったりするが、それでも彼は女性になりたという願望を貫く。そして、その強い意志は自分は何者なのか?という反問を経て、ルーツを探る旅、つまり母親探しの旅へと繋がっていく。
彼は幼いころに母親の愛情を受けられなかった。もしかしたら、その愛情の欠落が今の自分を作り上げてしまったのではないか?という考えに至るようになる。過去のヒビを修復することで自己を確立するドラマは、青春ドラマではお馴染みのレトリックであるが、同時に普遍的且つ強いメッセージ性を持っている。本作もそれがしっかりと語られていて、見る側にも強く響いていくる作品になっている。
映画は最後に自己確立の先に訪れる未来を暗示して終わるが、これが中々清々しく痛快だった。何より前向きなメッセージに満ちていて感動させられた。これもパトリックの人間的な魅力、アウトサイダーとして魅力を引き出した作劇の勝利だろう。見事な作りである。
パトリックを演じるのはC・マーフィ。難しい役どころだが、軽妙な場面もシリアスな場面も器用に演じている。ハリウッドのメジャー大作に出るかと思えば、本作のようなヨーロッパの小品にも出るフットワークの軽い若手俳優で今後も活躍が楽しみな一人である。
演出は、ミュージカルになったり、小鳥の視点を混入したり、ギミックに凝った所もあるが、基本的にはオーソドックスなものを見せてくれる。全36章という短いスパンでエピソードを刻んでいく構成は実験的で面白い試みに思えた。サブタイトルが各エピソードのテーマを明示しているので大変分かりやすい。