ゴダールの<音>と<映像>の実験、ここに極まる!おそらく、何回見てもよく分からない!
「ゴダールの決別」(1993仏スイス)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 文学者クリムトがスイス、レマン湖のほとりにやって来る。彼は一組の夫婦に起こった不思議な出来事を調べにやって来た。妻ラシェルは、最近夫のシモンが別人のようだと牧師に悩みを告白する。その夜、シモンは”自分は神”だとラシェルにほのめかし‥。
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(レビュー) 自称”神”の夫とそれに翻弄される妻の捻じ曲がった夫婦関係を、美しい映像と多層的なダイアローグで綴った実験的作品。
監督・脚本はJ・L・ゴダール。神をどう描くか?という大胆なテーマに挑んだ野心作で、こちらのはるか斜め上を行く壮大なプロットに唖然とさせられる。
まず、神を夫の肉体に宿らせた奇抜なアイディアに驚かされる。彼の口から吐露される神(?)の苦悩は中々興味深い。神に人間と同じような感傷があるのか、悦楽的な性に対する欲求があるのか?それは定かでないが、ともかく神を自認する夫シモンは妻ラシェルを欲望のままに乱暴に犯す。その時ラシェルは思う。目の前にいる夫が”神”なら、この宇宙を作った”神”は今どこにいるのか?彼女のこの疑問は当たり前といえば当たり前で、この問答は堂々巡りするばかりである。
物語はこのように夫の奇行に戸惑う妻の視点があり、その一方で彼らを追いかける文学者の視点が混入される。こう書くとストーリーは二人の視点でキッチリと描き分けられているように思うだろうが、いかんせんそこはゴダールである。登場人物の設定が曖昧なままドラマが展開される上に、映像にかぶさるダイアローグが一体誰のものなのか判然とせず、更に過去のフラッシュバックまでもが画面を横行する。哲学的な内容共々、映画のスタイルにも困惑されっぱなしだった。
80年代のゴダール映画の特徴として「ソニマージュ」という造語が挙げられるが、音と映像の新たな関係模索というこの概念は本作で一つの到達点に達したように思う。むろん、この作品で完成形が確立さたわけでなく、以後もゴダールの「ソニマージュ」の追求は進められていくのだが‥。
「考えるな、感じるんだ」という「燃えよドラゴン」(1973米)のブルース・リーのセリフが、なぜか本作を見ながら脳裏に浮かんだ。