たった4日間で打ち切りになった曰くつきの作品。
「日本の夜と霧」(1960日)
ジャンルサスペンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 深い霧に覆われた夜、新安保闘争で結ばれた野沢と玲子の結婚式が行われていた。そこに指名手配中の学生太田が現れる。同志北見が行方不明になったのは野沢と玲子のせいだと言って晴れ舞台に水を差す。騒然とする式場を党のリーダー中山は静めようとした。すると、今度はそこに野沢と同期の宅見が現れる。彼は10年前に起こった”あるスパイ容疑事件”を持ち出して党のやり方を厳しく糾弾した。
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(レビュー) 安保闘争を巡って運動方針の違いから空中分解を起こしていく学生運動を、激しいディスカッションに乗せて綴った作品。
監督・脚本は大島渚。公開当時、客入りが悪かった上に難解すぎるという理由でたった4日間で打ち切りになった曰くつきの作品である。これにより大島は契約金の残額を返金し松竹を出ることになった。しかし、映画を見て難解という印象は持たなかった。客入りの悪かった要因は、後で述べるが他にあるのではないかと思う。
まず、映画の構成が面白いと思った。
結婚式というワンシチュエーションに、参列者達の過去がフラッシュバックで挿話され、体制に抗った若者達の情熱と挫折を描いている。現在と過去を一つのショットでつなげる劇場空間的な演出は、映画というよりも舞台劇っぽい。A・タルコフスキーや鈴木清順の作品では見慣れたものだが、混沌とした時制の行き来はある種幻想的な雰囲気をもたらす。
その中で、登場人物たちの激しい政治論争が繰り広げられる。当時の学生運動の舞台裏を覗き見する‥という感覚で興味深く見れる。しかし、彼らの言い分はあくまで歴史的一側面に過ぎず、どうにも古臭く説教じみたものに感じられてしまうのは残念だった。これはカメラを組織の内部に固定したことによる功罪で、組織外からの客観的な視点もどこかに入れて欲しかったような気がする。”時代”を描くのなら、やはり多方面からの意見、視点を入れるべきではないだろうか。
一方、論争の火種となるのが、同志の失踪と死というミステリーである。これについては面白く追いかける事が出来た。このミステリーには禁断のロマンスが絡んでいる。ストイックさが求められる闘争と快楽を貪る情欲。この相克が興味深い。昨年見た
「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」(2007日)でも描かれていた。対立する人物視点の食い違いが過去の恋慕をミステリーのように紐解いていく。
ただ、映画のメインとなるのはどちらかというと運動方針の違いから来る主義主張の論争であり、確かに娯楽色の乏しい作品である。この内容では興行的に振るわなかったのも頷ける話だ。しかし、お金をかけて作った作品をたった4日間という短期間で映画会社は打ち切りにするだろうか?これは想像だが、製作途中の段階で大島渚と会社の間に何らかの軋轢が生じたのではないか‥と睨んでいる。
当時の大島渚は松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として気鋭の作家だった。娯楽よりも芸術。それが彼の映画作りのスタンスだった。本作は1シーン1カットの長回しが最初から最後まで続く。演技や撮影にハイレベルな技術が要求されることは分かりきっているが、大島渚は敢えてそこに挑んでいる。全ては芸術のためだ。しかし、これが裏目に出てしまった。出来上がった作品は決して成功していると言いがたいものである。
例えば、俳優がセリフに躓くのは当たり前で、中には棒読みのような演技もある。カメラワークも拙く感じる部分があった。臨場感を出そうとして敢えてそのまま編集せず劇場公開に至ったのか?はたまた、製作時間の制約によるものなのか?分からないが、いずれにせよ製作体制の無理がたたっているとしか言いようがない。
そうして出来上がったのが今作である。客観的に見てこれは”商業作品”として一定のレベルに達しているとはとても言いがたい代物である。こんなものを出されても映画会社はさぞ困っただろう。打ち切りに至った本当の理由は、大島側と会社側の間にこうした軋轢にあったからなのではないか‥と睨んでいるのだが‥。