「ゆれる」の監督の新作ということで期待したが‥。
「ディア・ドクター」(2009日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 都会育ちの研修医相馬が山奥の小さな村にやって来る。そこは伊野という医者がたった一人で診療している所だった。村人達から厚い信頼を受ける伊野を見て、相馬は医師としての働き甲斐を見出す。そして、村での暮らしに居心地の良さを覚えていくのだった。そんなある日、伊野は孤独な老未亡人かづ子の病状が悪化していることに気付く。かづ子には都会で医師として働く娘がいた。しかし、心配しないよう敢えて伝えないでいたのである。伊野は彼女から一緒に嘘をついて欲しいと頼まれ‥。
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(レビュー) 偽医者の失踪を研修医や村人達の回想を交えて描いたヒューマンドラマ。
監督・脚本は西川美和。前作「ゆれる」(2006日)で見せた巧みな心理描写とサスペンス的語り口が評価され、一躍気鋭の作家として注目された。今回はそのプレッシャーを押しのけての新作となるが、果たしてどういう作品に仕上がっているのか?とても興味深く見させてもらった。全体的に少しペーソスが混入されていて、ピンと張り詰めた緊張感があった前作に比べると、幾分肩の力を抜いて作ったという感じを受けた。
伊野役は笑福亭鶴瓶。元々何か胡散臭いものを隠し持ったところがある奇妙なキャラクター‥というイメージを持っていたが、今回の偽医者伊野には上手くはまっていると思った。他に、伊野の助手・余貴美子も良い演技をしていた。中盤に彼女の存在感が光る大きな見せ場がある。
「おくりびと」(2008日)でもそうだったが、彼女は脇役で良い演技をする。
さて、この映画は嘘と真実の狭間で揺れ動く医師の葛藤を描いたドラマである。思い起こせば、前作「ゆれる」も嘘と真実のドラマだった。両作品は根底の部分で共通のテーマを持っている。嘘をつくことの罪。嘘をつくことの優しさ。良い嘘と悪い嘘、そのせめぎあいがドラマの味噌であり、人間が持つどうしようもない”虚言癖”を鋭く捉えている。
人はそこに居場所を求めるときに本来の自分を押し殺してしまう”癖”がある。多かれ少なかれ嘘をつきながら生きているのが人間という生き物であり、伊野が偽医者を演じるのは正にその”癖”であろう。レベルやシチュエーションこそ違え、彼の葛藤は我々の日常生活に身近なもののように思う。
今回も西川監督は実に人間の本質を鋭く突いていて感心させられる。普通、この手の設定ならば容易に甘美な美談が作れるはずだ。
例えば、以前ここで紹介した
「大いなる休暇」(2003カナダ)という作品があった。過疎化した島に青年医師がやってくるという物語だったが、あれは嘘をいかに許すか?というのがテーマになっていた。やや理想論的な語りが鼻についたが、しかしそれだけでは人間の本質を伝えることはできまい。人間の本質には醜い部分がたくさんあって、そこに蓋をして見せないようにしては、人間の本質を伝えることは到底できないだろう。
西川監督は伊野に罪の意識と葛藤を与えることで、嘘は嘘、偽善は偽善に過ぎないということを見る側に突きつけ、人間の本質にあるどうしようもない”虚言癖”を描いて見せている。エンタテインメントという免罪符を以って観客に媚を売らない姿勢は大したものだと思った。
ただ、このメッセージは分かるのだが、前作との比較から見るとやや物足りなく感じる部分もあった。今回はやや詰めが甘いという気がしてしまう。
例えば、伊野が葛藤を克服するまでの経過。それが電話ボックスのシーンだけというのは余りにもパンチに欠ける。この映画は彼が嘘をつくところにかなりの時間をかけて語っているが、その嘘を真実に転化させること、つまり葛藤の克服が軽く描かれているような気がしてならない。
そもそも、これは作劇の問題もあるように思う。
刑事が伊野の失踪を捜査する現在と、捜査の過程で登場する伊野の周辺人物の証言(厳密には第三者の視点に立った回想であるが‥)のカットバックでドラマは展開されていく。伊野本人の心的葛藤に迫る主観描写は無く(何を考えているのか良く分からないという鶴瓶のタレント性の功罪とも言えるが)、この視点構成ではあくまで客観的にしか伊野の葛藤を捉える事が出来ないのだ。結果として、彼の心中を深く理解することは叶わない。
アッサリ系が良いか?ディープ系が良いか?結局は好みの問題になってくると思うが、個人的には前作以上のものを期待していただけに物足りなかった。
ただ、今回は”嘘と真実”というテーマをサブキャラにも被せており、群像劇的な広がりが見られたことは面白かった。
事実、本作で最も感動的だったのは、かづ子の娘に対する嘘である。本作には、他にも研修医・相馬の父親に対する嘘、香川照之演じる医薬販売員の顧客に対する嘘。様々な嘘が登場してくる。伊野の嘘と同様、彼等の嘘の是非についても一刀両断で論じられないところが複雑怪奇で面白い。