色々と考えさせられた。
「ダウト~あるカトリック学校で~」(2008米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ニューヨーク下町。厳格な校長シスター・アイロシアスが管理するカトリック学校で事件が起きる。新任教師シスター・ジェイムスが教え子の一人ドナルドの異変に気付いたのだ。クラスで唯一の黒人である彼は虐めにあっていた。不憫に思ったフリン神父が目をかけていたのだが、二人の関係がただならぬものに思えたのである。シスター・ジェイムスは、このことをシスター・アイロシアスに報告しフリン神父への追求が始まる。
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(レビュー) 児童虐待を巡って対立する神父とシスターの争いを軸に、人間の欺瞞の悪癖とキリスト教が説く寛容の精神の意味を問うた問題作。
原作者自らメガホンを取ったということで、所々にぎこちなさが目立つ。これが初演出ということを考えれば仕方がないかもしれない。ただ、ドラマ自体はかなり面白く見れた。尚、原作はピュリッツァー賞を受賞している。舞台劇にもなっていてトニー賞も受賞している。
物語の軸となるのは児童への性的虐待の嫌疑である。厳格なシスター・アイロシアスは、確たる証拠を持たずにこれを告発しようと動き出す。
神学校で起こる同性愛は、例えばP・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」(2002英アイルランド)でも描かれており、教会のような閉鎖的な空間ではしばしば起こる出来事‥と捉える事が出来る。これだけなら特段目新しい素材ではなく、よくあるドラマ‥と片付けてしまうところである。しかし、本作のテーマは児童の性的虐待の告発という信条的なものではない。もっと根本的なところ。罪を許すことの難しさ。そこを問うている。
シスター・アイロシアスはフリン神父の不正を罰することで信仰を標榜する。しかし、実は彼女のこの標榜にも”ある問題”が関わっていることが後半になって分かってくる。彼女の不正を裁く信仰心に揺らぎが出始めるのだ。不正を罰することは簡単である。しかし、不正を許すことは難しい。それが彼女の後半の信仰心の揺らぎから伺える。信条的な問題から更に一歩踏み込んだ所に見応えがあった。
俳優陣の演技も素晴らしかった。シスター・アイロシアスを演じたM・ストリープは、自律した厳格な女性を終始シリアスに体現している。ラストの演技が印象的だった。彼女に嫌疑をかけられるフリン神父役はP・S・ホフマン。こちらも好演している。二人が対峙するシーンは緊迫感があって目が離せなかった。シスター・ジェイムスを演じたA・アダムスも凛とした愛らしさがあって良かった。
尚、原作は9.11直後に書かれたベストセラーである。刑事裁判では推定無罪が原則のアメリカ社会において、この作品はどう捉えられたのだろうか?興味深く想像できる。
シスターの神父への追求は、紛れもなく宗教観念に捉われた利己的な自己実現に他ならない。これは思想思考に余裕のない閉塞感漂う社会においては実に説得力のある行動で、9.11以降のアメリカ社会は正にそんな風だったのではないか‥と想像できる。テロの不安で疑心暗鬼になり、何もかもが信じられなくなった社会。実に暗く嫌な社会だと思う。そして、それはイラク戦争を引き起こす。ブッシュ大統領はイラクに大量破壊兵器があるとして攻め入った。推定無罪ならぬ”推定有罪”である。その結果はどうだったのか?ここに書くまでもない。
シスターの神父への追及も(神父の罪の真偽はともかくとして)これと同じではないだろうか。このように考えると、このドラマはイラク戦争のメタファーのようにも取れる。実に興味の尽きない作品だった。