戦争の狂気をシニカルに笑い飛ばした怪作!
「まぼろしの市街戦」(1967仏英)
ジャンルコメディ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1918年、ドイツ軍占領下のフランス北部の小さな村。背水の陣のドイツ軍は大量の爆薬を仕掛けて村を吹き飛ばそうとしていた。その情報を村のレジスタンスがイギリス軍に伝えた。フランス語が話せるという理由で通信兵のプランピックに爆弾処理の命令が下される。早速彼は村に潜入するが、村は閑散としていた。全員逃げ払っていたのである。唯一つ、隔離施設に閉じ込められていた精神病患者達を除いては‥。ドイツ軍に見つかったプランピックは彼等に紛れてどうにか追跡を逃れた。そして、彼はそこで王として祭り上げられていく。
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(レビュー) ドジで間抜けな二等兵が精神病患者しかいなくなってしまった村で起こすドタバタ喜劇。戦争に対する痛烈なアイロニーが感じられる反戦コメディである。
爆弾が仕掛けられた村に解き放たれた患者達は、誰にも邪魔されず久しぶりの自由を満喫する。その光景はさながらカーニバル。死がすぐそこに迫っているというのに、彼等は笑い、喜び、歌う。戦火に芽吹く饗宴。その光景には人間とは?人生とは?という哲学的なメッセージすら感じられる。
プランピックは彼等に取り込まれるようにして村の王になっていく。そして、穢れ無き処女であり娼婦である一人の少女と恋に落ちる。このロマンスは中々愛らしく描けていて良かった。純真無垢な少女の佇まいが魅力的である。
面白いのは、社会的には精神病患者というレッテルを貼られた彼等が実に愛らしく、純粋に思えてくるところだ。彼等は皆、自らの欲望に忠実に生きている。それは人間本来の原初の姿と言える。逆に、殺し合いを止められない外界の人間達のなんと非道なことか。健常者である彼等が非人間的に見えてくる。このコントラストが可笑しい。
映画は非常に幻想的な趣を醸す。常人では理解しがたい患者達の行動はナンセンスで、突拍子も無い事件が巻き起こる。中々面白く見れるが、中盤はそれが淡々と続くので少し退屈してしまった。平板な展開が惜しまれる。
後半はシリアスなトーンが前面に出てきて、映画は徐々に引き締まったものになっていく。
ところで、戦争の狂気で思い出されるのは、「チャップリンの独裁者」(1940米)やキューブリックの「博士の異常な愛情」(1940英米)である。両方とも強烈なサタイアであるが、よくよく考えてみれば、本作の精神病患者と戦争という組み合わせもかなりインパクトがある。戦争の狂気をそのまま地で行くような設定である。
ただ、登場人物が元々狂人であるため、チャップリンのヒトラーやP・セラーズのDr.ストレンジラブを凌駕するほどの危なさは感じられなかった。ヒトラーもストレンジラブも表向きは常人の振りをして、中味は狂人である。それだけに洒落にならない怖さがある。本作の登場人物たちは最初から狂人なわけで、武器を持たせてもその使い方が分かるわけではない。その意味では、同じサタイアでも「チャップリンの独裁者」や「博士の異常な愛情」に比べたら、随分のどかに見れる。