実録映画ならではの説得力を感じる。
「スタンドアップ」(2005米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1989年、ミネソタ北部の町。暴力夫と別れて二人の幼い子供を連れて生まれ故郷に帰ってきたジョージーは、友人グローリーに誘われて鉱山鉱員になる。しかし、そこは男性優位の職場で女性は様々な嫌がらせを受けていた。若く美しいシングルマザー、ジョージーも再三セクハラを受けるようになる。我慢の限界に達した彼女はついに法廷に訴え出る。
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(レビュー) アメリカ初のセクハラ訴訟を勝ち取った女性をモデルにして描かれた実録映画。
物語は法廷シーンとジョージーの過去を交錯させながら進行するが、基本となるのは回想シーンの方である。理不尽な女性蔑視に対する悲しみ、憤りが描出され、孤軍奮闘するヒロインの姿が崇高に謳いあげられている。
今でこそ男女雇用均等の元、女性の職場進出が当たり前の時代になったが、当時の鉱山勤務は完全な男性優位社会だった。女性が置かれている状況は見ていて本当に気の毒になるくらいで、悪質な虐めの数々に胸を痛めてしまう。実話ならではの説得力も備わっている。また、ジョージーと共に彼等の嫌がらせに苦しむ同僚グローリーの顛末についても、やるせない思いにさせられた。
一方で、この映画は後半に入ってくると、ジョージーと家族の関係についても言及されていくようになる。父親や長男との確執が述べられ、家族ドラマのように見ることも出来る。これも実に気の毒なもので、女性の肉体的な弱さ、シングルマザーに対する世間の偏狭さを表したもので、女性が一人で生きていくことの難しさについて考えさせられた。
ただ、映画をトータルバランスで見た場合、果たしてこの後半の展開はどこまで必要だったのかは疑問に残る。アメリカ初のセクハラ訴訟という社会派的なテーマを追求するのがこの映画の本文であるのだから、そこに家族愛のテーマを無理にねじ込む必要は無かったのではないだろうか。二つのテーマを収束させるために、終盤の運びがやや性急に写る。結果として、本来のテーマのインパクトが失われてしまった。
例えば、父親がジョージーの演説を擁護するシーンなどは、彼の心理過程の説明が無いためにご都合主義に写ってしまう。また、弁護士が元級友に追求するシーンにしても単に勢いだけ、ともすれば誘導尋問のように見えかねない。こういった性急な場面処理は終盤になるほど目に付き、作品が放つ重厚さを打ち消してしまっているような気がした。
キャストでは、ジョージー役のS・セロン、グローリー役のF・マクドーマンドが見事な好演を見せている。特に、F・マクドーマンの終盤の演技には胸打たれた。