今年のアカデミー賞外国語映画賞では本命視されながらも、「おくりびと」の前に無念の敗退。
「戦場でワルツを」(2008イスラエル仏独米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンルアニメ・ジャンル戦争
(あらすじ) レバノン内戦を体験した監督が、失われた記憶を手繰り寄せていく異色のアニメーション・ドキュメンタリー。
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(レビュー) まず、アニメーションでドキュメンタリーを作るということに驚かされる。事実をそのままに映す記録実写と違いアニメーションはイマジネーションが生み出すメディアだ。果たしてドキュメンタリーとして、これはありなのだろうか?見る前からそんな疑問があった。しかし、蓋を開けてみてその疑問が解けた。アニメーションでなければならない必然性があったのである。
監督は毎晩戦争の悪夢を見る。しかし、内容が断片的でまったく意味不明だった。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)、戦争のトラウマが彼の記憶を封印していたのである。そこで彼はかつての戦友や関係者にインタビューしながら、徐々に記憶の穴を埋めていく作業に入る。言わば、この映画は彼と一緒になって戦争の体験を紐解いていく‥そんな内容の映画だ。
かようにして、本作はインタビューシーンと当事者が置かれた現場、つまり戦場シーンのカットバックで構成されていく。インタビューシーンはともかくとして、戦場シーンは彼の実体験が元になっているので、再現映像という形でしか表現しえないものである。記録映像をコラージュすれば済む話ではないか?という気もするが、それでは彼の記憶は再現できなかったのであろう。何故アニメーションになったのか?その理由がここにある。
戦場シーンは、時に幻想的でシュールで、まるで夢の中の出来事のような‥そんな感じさえ受ける。あの戦争は本当に起こった事なのか?そんな錯覚を覚えてしまうほどに、美しく時にロマンチックだ。なぜここまでリアリティを廃したのか?監督の脳内を表現したものであるからに他ならない。過去を見たくないという強迫観念が、惨劇の現実性をぼかしてしまっているのである。それを再現するには、やはりアニメーションによる再現が必要だったわけである。というか、実写のリアルさはかえって邪魔だったわけである。
ラストが見事な締めくくり方だった。アニメーションが本来持つ”反リアル”さをもって、”リアルさ”を追求する方法があったとは‥。こういう形でドキュメンタリー作品が成り立つのだ‥という意味で目からウロコである。発想が素晴らしい。
また、テーマも真摯に発せられていると思った。この戦争はどこか別世界の出来事のように思っていたが、ユダヤとパレスチナの軋轢がいかに根深いものであるか。その問題意識は作品からしっかりと伝わってきた。戦争の悲劇から目を背けてはいけない、記憶から消し去ってはいけない。そんな思いが力強く発せられている。
尚、タイトルは生と死のアンバランスを、皮肉を込めて表現したもので秀逸だと思う。正にタイトルを表すシーンが途中で登場してくるのだが、この場面には”やるせない”思いにさせられた。戦場でダンスと言えば、S・ペキンパー監督の傑作「戦争のはらわた」(1975西独英)のクライマックスシーンが思い出されるが、それに似た悲しみが沸き起こった。