長崎被爆の前日談。悲しくも美しい作品。
「TOMORROW 明日」(1988日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1945年8月8日、長崎。工員庄治と看護士ヤエの結婚祝宴が慎ましやかに開かれた。戦時下の折、彼等を取り巻く環境は決して明るいものではなかったが、和やかなムードに両家は安らぎを覚える。そんな中、ヤエの身重の姉ツル子が急に産気づいた。運悪くそこに空襲警報が鳴り響き‥。一時はどうなることかと思ったが、どうにかツル子は落ち着きを取り戻し、空襲警報も大事には至らなかった。祝宴が終わり夫々が帰途に着く。庄治とヤエは初めての夜を迎える。ツル子は安静状態で母の看護を受ける。戦地に向かう恋人と別れる少女、瀕死の敵兵を見守る捕虜収容所の兵士等々‥夫々の夜が明けていく。
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(レビュー) 原爆が投下された長崎を舞台に、そこに暮らす人々の姿をスケッチ風に綴った群像劇。
物語の主となるのは庄治とヤエの結婚である。その傍らで縁故者達のエピソードが同時並行で語られていく。ヤエの姉ツル子の出産、ヤエの妹昭子の悲恋、庄治の親友のエピソード、両親のエピソード等、様々なドラマ紡がれていく。
一見すると登場人物が多すぎる気もするが、構成の巧みさで混乱することなく見れた。映画は夫々の朝の風景から始まる。その後の婚姻シーンで人物関係をおおよそ紹介し、後の展開に結びつく様々な伏線も設けられている。実に上手く作られていると思った。
ただ、その後はドラマ的に何か大きな事件が起こるわけではない。淡々と「被爆」という悲劇に向かって日常風景が静かに積み重ねられていくだけである。このあたりの平板さをどう捉えるかは賛否の別れる所かもしれない。しかし、この淡々とした作りがかえって彼等の日常の営みを儚く見せ、俺はそこにしみじみとさせられた。
例えば、無邪気に遊ぶ子供達の姿、小豆のあんこを食べる幸せ、新しい生命の誕生、大好きなレコードを聴く喜び等々。平和のありがたみと、それを一瞬にして奪い去ってしまう原爆の恐ろしさ。それが一連の描写から感じられる。被爆の直接描写無しにここまで原爆の恐ろしさを表現できた所は見事と言うほかない。類まれな反戦映画になっていると思う。
中でも捕虜収容所に勤務する石原のエピソードは白眉だった。彼は捕虜を見殺しにしまったことで自責の念に駆られてしまう。その後、彼は娼婦の胸に抱かれて慰められる。ここでは電球に集まる蛾や赤く染まった月等、死の前兆とも取れるニュアンスが登場し、この世の無常をいやがうえにも意識させられる。そして、抗いようがない運命に怖さを覚えると共に、一夜限りの男女の仲という所にしみじみとしたペーソスが感じられた。
この他にも様々なエピソードが登場してくる。いずれも原爆による悲劇を哀しく訴えている。決して声を大にして訴えていない所が良い。日常の営みの中に静かに描いてる。自然と胸に迫ってきた。
ただし、1点だけ興が削がれるエピソードがあった。それは三女の悲恋のエピソードである。これは芝居が過剰で少し嫌らしく感じてしまった。
監督は黒木和雄。反戦をモティーフにした映画は本作を含め数本撮っているが、これは彼の晩年のライフワークと言っていいだろう。遺作となった
「紙屋悦子の青春」(2006日)までこの姿勢は一貫して崩さなかった。その作家性は改めて評価されてしかるべきであろう。
尚、助監督に鬼才三池崇史の名前がクレジットされている。過度な暴力描写を撮る三池がこういった静かな作品に携わっていたことは意外だった。