何の飾りっ気も無い無骨な作品だが、それこそが本作の魅力である。
「息もできない」(2008韓国)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 借金の取り立てをしているサンフンは、父のせいで母と妹を亡くし、その過去を引きずったまま生きている。今や唯一の家族の繋がりと呼べるものは、義姉の甥っ子との交流だけだった。そんなある日、彼はヨニという向こうっ気の強い女子校生に出会う。彼女は悲惨な境遇にいる少女だった。母はヤクザに殺され、父はベトナム戦争の後遺症で障害者となり、弟は非行に走っていた。家庭の全てを彼女一人で切り盛りしなければならず、荒んだ青春を送っていたのだ。初めは対立する二人だったが、時が経つにつれ不思議と馬が合い交友を重ねていくようになる。ある日、サンフンは甥っ子とヨニを連れて街へ買い物に出かけた。楽しい一時にヨニの顔には年相応の笑顔がこぼれる。それを見てサンフンも束の間の安堵を覚えた。ところが、その幸せはサンフンの父の出所で脆くも崩れてしまう。
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(レビュー) 家族を失ったヤクザと荒んだ青春を送る女子高生の愛を、時に過激に時に叙情的に綴った作品。
ヤクザと女子高生の交流と書くと、何とベタな‥と思う人もいるはずである。しかし、そう思うことなかれ。サンフンとヨニの関係は恋愛関係というよりも擬似家族のような関係で結ばれていく。それは決してベタベタしたものではなく、つかず離れずの微妙なバランスが保たれていて面白く見れるのだ。
サンフンは母と妹の命を奪った父の罪を赦せず、その葛藤に苦しんでいる。一方のヨニは傲慢な父と弟を憎み、彼等から解放されたいと願っている。家族に裏切られ、傷つけられる二人が引かれ合っていくのは、自然なものとして見ることができた。
更に言えば、彼等は「孤児」のような存在と捉えることも可能である。
サンフンは見た目は30代の粗暴なヤクザだが、少年のような純真な一面も持っていて、それは甥っ子と戯れるシーンによく表れている。おそらく、サンフンの中の時間は母と妹を失った少年時代から止まったままなのだろう。未だにポケベルを持っていたり、流行のTVゲームについていけなかったり、極めてアナクロな人間として造形されているのは、彼の時間が停滞したままであることを表すものだ。極端な言い方をすれば、彼は少年のまま成長しない男なのだと思う。
一方のヨニについて見てみると、こちらも酷い状況にいる。母が殺され父が脳障害で手のかかる有様。ある意味で、孤児よりひどいかもしれない。
誰からも愛されない孤児はどうやって愛を確認するのか?それは、互いに寄り添いながら助け合っていくしない。クライマックスの漢江のシーンは正に彼等の孤児性を如実に表した名シーンだと思う。二人が寄り添う愛が行きつく風景としては、これ以上に無いくらいのベスト・ショットであり、このシーンがあるだけで本作はかなり好きな作品になってしまった。確かに、ラストにかけての展開が予定調和であるとか、所々の演出の拙さは見つかる。しかし、それらを全て帳消しにしてくれるような感動的なシーンだと思う。
監督はこれが初演出となるヤン・イクチュン。製作・脚本・主演・編集の一人5役をこなしている。作品を完成させるために何と家まで売り払ったというから、これは正真正銘の自主製作映画だ。カメラワークに拙さも見られるが、かえってこの不器用で野卑な演出が作品に生々しい息吹を吹き込んでいる。洗練される一歩手前の荒削りな魅力は尊いものだと思う。こういうのはキャリアの中ではごく僅かな期間、おそらく初期時代にしか作れないのではないだろうか。テーマが作品に乗り移っているかのような”勢い”と”力強さ”が、全編から感じ取れた。連想されるのは初期の北野武のバイオレンス映画であるが、静かな狂気、不穏な空気感に加え、エモーショナルな感性が併置されところが少しだけ趣を異にする。これは韓国映画特有のエモーショナルさからくるものなのかもしれない。
また、非常に重苦しいテーマを描いているため見ていて息苦しい映画であるが、ユーモラスな演出を所々に配して見やすいように作られている所も評価したい。サンフンの親友や子分のコミカルな造形などは一服の清涼剤的な役割を果たしていて効果的である。彼等がいることで少しだけ作品が親しみやすくなる。
また、音を抑制して描かれる街のシークエンスは、陶酔的な美しさを醸す。案外洒落た演出センスも感じさせ、この監督は今後どういった作品を撮るのか楽しみになってくる。
韓国映画界は実に懐が深い。パク・チャヌク、ポン・ジュノ、そしてまた一人ここにとんでもない怪物が現れたという感じがした。