良くも悪くもカーウァイ的。
「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(2007香港中国仏)
ジャンルロマンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 恋人に逃げられ傷心の日々を送るジェレミーは、ニューヨークのダウンタウンに小さなカフェを構えている。そこに失恋したばかりの女性リジーがやって来た。ジェレミーが作ったブルーベリー・パイを食べて彼女の心は少しだけ安らぐ。その後、リジーは自分を見つめなおす旅に出た。道中、妻に見捨てられた孤独な保安官アーニーに出会う。彼の苦しい胸の内を知ったリジーは同情せずにいられなかった。次第に交友を育んでいく二人。そこにアーニーの妻を奪った男が現れて‥。
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(レビュー) 失恋した者同士のささやかなロマンスをスタイリッシュな映像で描いた作品。
監督・脚本はW・カーウァイ。同監督作の「恋する惑星」(1994香港)を髣髴とさせるシチュエーションだったので、これはセルフ・リメイクか‥?と思ったが、途中からリジーのロード・ムービーに変わっていく。同じシチュエーションを扱いながら、まったく別の映画になっていくあたりが面白い。
ただ、全体的なストーリーの流れは決して上手くできているとは思わなかった。
保安官アーニーにまつわるエピソードまでは良かった。人は一人では生きていけない。そんな教訓が感じられる逸話になっていて、この経験が失恋したリジーを一歩新しい未来へと向かわせる。
問題はその後である。リジーはカジノ通いが止められないハスッパな女レスリーと出会う。彼女もまた人知れず孤独を抱えて生きる幸薄い女性なのだが、このエピソードが地に足の着かない描かれ方になっている。アーニーのエピソードがかなりヘビーだったので、それとの比較もあろう。どうしても軽く写ってしまうのだ。ここにも教訓が隠されているのだが、リジーを成長させるという意味で言えば、あっても無くてもいいような‥。また、リジーのアルバイトの理由が車を買うためというのも、何だか取ってつけたようで今一つドラマに身が入らない。
レスリーのエピソードが、何故こうも弱いものになってしまったのだろうか。成長ドラマであるなら、主人公が一歩ずつステップアップしていく過程を積み重ねていくことで構成されていくべきである。例えば、以前このブログで紹介した山田洋次監督作の
「十五才 学校IV」(2000日)という作品がある。あの作品などは非常にオーソドックスであるが、旅を通して成長していく主人公の姿が堅実に描かれていた。しかし、本作は同じロードムービーでも、結果的に主人公がどれだけ成長したのかがよく分からない。
そもそもカーウァイという人はシナリオを書かずに映画の撮影に入ることで有名な監督である。全ては彼の頭の中にあって、その場その場で即興的にシナリオは書き換えられていくそうである。かつて、木村拓哉が「2046」(2004香港)で、この独特の撮影方法に戸惑ったというような事を語っていたが、こうしたやり方は俺の知るところでは他にはイギリスのM・リー監督くらいである。確かに独特な撮影方法で、上手くいけば予想しなかったような軌跡的なシーンを作り出す事が出来る。しかし、よほど明確に全体のイメージが固まってなければ、逆にチグハグで散漫な映画になってしまう恐れもある。今回の脚本は、カーウァイともう一人のは共同脚本であるが、果たしてそのあたりのところはどうだったのだろうか?疑問に思う。
映像は魅力的であった。計算されつくされた色彩と構図が織り成す陶酔的なまでの”美”は、いかにもカーウァイらしい感性だ。この浮遊感にずっと身を委ねていたい‥そんな心地良さをおぼえた。中には小洒落たPV風な映像が続き鼻につくという人もいるかもしれないが、良くも悪くもカーウァイという映像作家の特質はそこにある。
リジー役は本作が映画初出演になる歌手のN・ジョーンズである。口の周りにパイをつけて眠りこけるなど、コメディチックな演技は愛らしく写るが、全体的な演技を考えると残念ながら今ひとつといった印象である。