春歌と軍歌のぶつかり合い!?
「日本春歌考」(1967日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 高校生中村は大学受験のためにクラスメイトと上京した。一同は試験会場で見かけた受験番号「469」番の少女に一目惚れし、妄想の中で彼女を犯した。その夜、昔の担任教師大竹に会い、飲み屋街に繰り出す。すっかり酔いつぶれた大竹を介抱して一同は旅館に一泊することになった。暇を持て余した男子達は隣の女子の部屋にちょっかいを出して喜んだ。しかし、中村は何だかしらけてしまい忘れ物を取りに大竹の部屋を訪れた。そこで目にしたのは一酸化中毒で倒れる大竹の姿だった。中村はそれを見殺しにしてしまう。翌朝、警察の取調べを受けるが彼はシラを切った。しかし、女子の一人金田の言葉に動かされて全てを告白する決意をする。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 性に興味津々な年頃の少年達とそれを受け止める女達の葛藤を、様々な地方に伝わる春歌、いわゆる猥歌に乗せて綴った異色の青春映画。
監督・脚本は大島渚。いかにもこの人らしい暴力的な性の解放と政治思想が入り混じった怪作となっている。
序盤の黒い日の丸を掲げた建国記念日反対デモ、大竹の内縁の妻高子の皇国史観の大演説、軍歌や西欧ポップスに被さる春歌等々、激しいイデオロギーの対立とでも言うべき主義主張の応酬がこの映画の中には登場してくる。過激な作家として知られる大島は浩々とこれを画面に映し出し、これらが公開当時どう捉えられたか分からないが、今こうして改めて見ると熱き闘争の時代を確認することが出来る。
ただ、俺はこれらの主義主張が春歌によって表現されるところに多少の引っ掛かりを覚えてしまった。ミュージカル映画にも言える事だが、一歩引いて冷静に見てしまうと”作り物臭さ”が際立ち、セリフと違って歌詞で表現される場合、過剰で鼻につく。ことイデオロギーの発露として利用される本作のようなケースでは、独りよがりな主張に見えかねない。実際、中村が高子を抱くシーンや平和ソング集会のシーンなどは、余りにも”わざとらしく””青臭く”失笑してしまった。春歌を持ってきた狙いは買うが、実際にはかなり戸惑いを覚える作品でもあった。
映像は斬新で処々に印象に残るシーンがある。
白地に黒い日の丸、雪の中を歩く黒い学生服を着た生徒達等、白と黒のコントラストが織り成す映像に大島監督の様式美が感じられる。彼は
「日本の夜と霧」(1960日)や
「白昼の通り魔」(1966日)といった作品でも、白と黒のコントラストを効かせた映像で、作品に独特の緊張感をもたらすことに成功している。時にアヴァンギャルドでリアリティに欠けると評されることもあるが、これこそが大島渚独特の美的感性だろう。
また、中村と高子が罪の意識について語るシーンは、朝ぼらけのロケーションの美しさも相まって実に透明感のあるシーンで魅了される。奥行きのある構図とロングテイクに思わず引き込まれてしまった。
「469」番を妄想の中でレイプするシーンも極めて形而上的な不気味さを漂わせていて印象的だった。この妄想とまったく同じシチュエーションで描かれるクライマックスシーンも、夢うつつのごとしで大変不気味である。若さ故の暴走とそれを押さえ込もうとする権力の激しいぶつかり合いが、妄想と現実をまるで合わせ鏡のように対置することでハイテンションに演出されている。