神に抗った囚人の物語。
「暴力脱獄」(1967米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 退役軍人ルークは泥酔してパーキングメータを壊した罪で懲役2年の刑になる。厳しい看守が見張る刑務所で、彼は過酷な労働を強いられる。しかし、決して根を上げることはなかった。新入りらしからぬ堂々とした振る舞いは、囚人達のボス、ドラクラインのかんに障った。ある日、2人はボクシングの試合で壮絶な殴り合いを演じる。巨漢のドラクラインのパンチを浴び何度も倒れるルーク。しかし、彼はそのたびに立ち向かっていった。その闘志は周囲の囚人達を驚かせ、ついにはドラクラインも負けを認める。こうしてルークは仲間として受け入れられ、ドラクラインと固い友情で結ばれた。そんなある日、ルークの元に家族の悲報が届く。彼は脱走を試みるのだが‥。
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(レビュー) 権力に逆らい続けた脱獄囚の物語。
タフな脱獄囚ルークをP・ニューマンが熱演している。ニューマンと言えば、アメリカン・ニューシネマの傑作「明日に向かって撃て!」(1969米)のブッチ役が印象に残っている人も多いだろう。体制に抗ったアウトローとして大変魅力的だった。しかし、このキャラクターのエッセンスは「明日に向かって撃て!」以前からすでに見られる物だった。ニューシネマの旗手A・ペンが監督した「左ききのガンマン」(1958米)のビリー・ザ・キッド、「ロッキー」(1976米)の原型とも言える「傷だらけの栄光」(1956米)のボクサー。ニューマンが演じるのは、いずれも権力に戦いを挑み壮絶な最期を遂げるアウトロー達だった。これら50年代後半の作品には、すでに「明日に向かって撃て!」のブッチ的キャラクター性が伺える。言わば、P・ニューマンという俳優の特徴はこれらの作品によって決定付けられ、後の「明日に向かって撃て!」に結びついたわけである。本作はそんな流れの中で製作された1本である。それまで積み上げてきたニューマンの俳優としての特性、キャリアが、画面に存分に散りばめられているという意味では、本作こそ彼の代表作ではないかという気がする。
彼が演じるルークのチャーム・ポイントは、何と言っても時折見せるファニーな笑顔だろう。これはニューマンの一つの魅力でもあったが、その笑顔は余りにも無垢であり、刑務所という殺伐とした空間では余計に輝いて見える。そして、その笑顔はドラクラインを始め囚人達の荒んだ心に潤いを与え、彼等の結束を強めていくようになる。ボクシング対決、卵の大食い競争のエピソード等、囚人同士の交流はユーモラスに描かれていて終始楽しい。
その一方で、ルークは看守との対立を繰り返していく。こちらはかなりハードだ。看守の中には、常にサングラスをかけて無表情・無口な男がいるのだが、敵役としてこの造形は実に印象に残る。サングラスに隠された目はルークをどう見ているのか?表情が見えないところに、悪役としての不気味さ、体制の理不尽さが演出されている。
囚人同士の友情、そこから派生する権力への反発。このドラマは、言わばこの二つによって構成されている。こう書くと、刑務所物の映画としてはよくあるエッセンスで、特段目新しいものではない。ただ、本作を只の脱獄物と見てしまっては、おそらく製作サイドが訴えるテーマの半分も理解したことにはならないだろう。今作には他の脱獄映画にはない極めて特異なテーマが隠されている。その特異なテーマとは、ずばり”宗教”だ。
ルークは戦争から戻った後、職にあぶれ酒に溺れ刑務所に収監された。友達もいない。老いた母親は弟に頼りっきりで家族とも疎遠。そんな孤独な世界に嫌気が差して、敢えて彼は刑務所に服役した‥そんな風に想像できる。つまり、彼は戦争の贖罪も母親とのわだかまりも解けずに、現実に背を向けたまま生きている男なわけである。キリスト教的に言えば、刑に服し過去の罪を洗い流すことで更生の道を歩むべきだが、彼は頑なにそれをしようとしない。閉ざされた檻の中に逃避する罪人を貫くのだ。
やがてこの安住の地にもいずらくなったルークは脱獄する。しかし、何度も失敗して懲罰を受ける。この時、彼は看守から告解を強要される。ここでは看守の口からストレートに”神”という言葉が発せられ、神に許しを請いニ度と脱走しないことを誓わされるのだ。
他にもこの映画の中では”神”的なアイコンは登場してくる。例えば、卵の大食い競争のラストショット。この時の大の字になって倒れるルークの姿はキリストの殉教姿にダブって見える。また、劇中で歌われる楽曲の歌詞、クライマックスの舞台が教会であること等、宗教を臭わす描写は様々に登場してくる。宗教が作品の重要なモチーフになっていることは間違いない。この映画は表向きは権力に逆らうアウトローの物語として成立しているが、一歩踏み込んで解釈すれば神に逆らった男の物語として捉える事も可能なのだ。正にこの部分が本作を他に類を見ない作品にしている。
こう考えてみると、ラストシーンには荘厳さも漂う。神に戦いを挑んだ男が、結果的に囚人達にとっての神となったわけであるから、これは実に皮肉的な結末と言わざるを得ない。結局、最期まで彼は神の手から逃れる事は出来なかった‥そんな解釈も出来る。