しみじみとさせるホームドラマ。少しホラーっぽい演出が面白い。
「歩いても 歩いても」(2007日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 横山家に長男の命日で家族が集まった。次男良多は妻ゆかりと義息子あつしを連れて久しぶりの帰郷になる。元開業医の頑固な父とは犬猿の仲で、兄の死後その関係は益々悪化していた。他に、横山家には明るい性格の母、同じく帰省していた長女一家がいた。彼女等のおかげで、父子間に流れる不穏な空気はどうにか浄化されていたが、二人は腹の中ではさっさと命日など終わってくれと思っていた。一方、良多の妻ゆかりは再婚という身から必要以上に父に気を使う。それがかえって良多の気分を害してしまった。昼食後、良太は家族と母を連れて長男の墓参りに出かける。そこで母から思わぬ言葉が出る。それは良多を驚かせるものだった。
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(レビュー) 長男の命日に集まった家族の一日をしみじみと綴ったホームドラマ。
基本的に家屋内を舞台にした一日のダイアローグ劇になっている。家族崩壊をシビアに描きながら、家族のあり方とは?という問題を鋭く突いている。見終わった後には色々と考えさせられると共に、家族っていいなぁ‥とホッとさせられた。
物語の主軸となるのは、父と良多のやり取りとなる。映画は全体的にペーソスに傾倒した作りになっているが、この二人の激しい衝突はかなりヘビーに描かれていて、語弊はあるかもしれないが、まるでホラー映画を見ているような気分になった。現に、心霊現象に類する”ある物”もクライマックスで登場してくるし、亡き長男の霊を意識させるような霊感を漂わせたシークエンスは、見ようによってはかなりホラー的である。
例えば、<カメラの視線>=<亡き長男の視線>ということを意識させる演出。これはほぼオカルト的な演出だと思う。一番分かりやすい例で言えば、一家揃って取る昼食シーン。良多と父が対峙し、その後ろに長男の仏壇が配されるという位置関係だ。目に見えない気まずさと緊張感が空間を覆い、それは背後から見る<亡き長男の視線>で捉えた映像と重なり合う。
監督・脚本は是枝裕和。彼はドキュメンタリー畑出身の作家である。今回もこれまで同様、ドキュメンタリー・タッチで撮られている。ドキュメンタリー・タッチはシーンに張り詰めた緊張感をもたらすのに適した手法だが、それは<カメラの視線>が<観客の視線>と重なることで画面に写る現場に観客を強く引き込む力を持っているからである。まるでその場にいるかのような緊張感と直感的な感動が観客を襲うことになる。
ただ、本作の場合、先述の通り<カメラの視線>が<亡き長男の視線>として機能している箇所が一部であり、これはかなり特異的である。崩壊の危機を迎える家族の罵り合い、あるいは表面を取り繕う姿、そういった一挙手一投足が、亡き長男を意識させる視点から捉えられることで奇妙な可笑しさ、怖さ、悲しさが生まれてくる。
特に、長男の死を嘆く母の呟きと、着物絡みで見せるゆかりの眼差し。この二つには、怖さと悲しさを感じた。母親は朗らかな笑みを浮かべる傍らで、本当は長男を死に追いやった加害者を今でも殺したいくらい憎んでいる。ゆかりは笑みを絶やさない良き嫁を演じているだけで、実は家族の繋がりに窮屈感を感じている。それぞれ、セリフでは表現されない本音が、客観的なドキュメンタリー・タッチの視点によって炙り出されている。カメラは意味深に長回しになったり、彼女等の無言を粘着的に捉えながら、心の中の本音を炙り出していくのだ。そして、その時、長男の嘆息がどこかから聞こえてきそうになる‥。
ここまでキャラクターの内面を炙り出す事が出来るのは、ひとえに是枝監督の鋭い人間観察眼あってこそだと思う。そして、彼の観察眼の鋭さは人物のみならず、物質に対する捉え方にも卓越したセンスを見せている。
例えば、料理の材料、レコード、靴下、着物といったアイテムは、人物造形、感情、人間関係を表現する為の”意味あるもの”として登場してくる。
また、いわゆる人物が登場しない無人ショットにも同様の事は言えて、例えば夕暮れを捉えたショット、海岸に難破する船を捉えたショット。これらの静物に込められた意味を汲み取る事は様々に可能である。正直、ここまで細部にわたってイノセンスに表現されると脱帽である。一つ一つが実に見応えがあった。
ところで、是枝監督と言えば、デビュー作である「幻の光」(1995日)も家族の死を背負いながら生きる遺族の物語だった。映画初出演となる江角マキコが孤独に埋没するヒロインを好演し、映画を感動的に盛り上げていた。遺族の喪の仕事という意味では今回も同系列のドラマに入れることが出来る。ただ、両作品には大きな違いがあって、それは遺族が配偶者か家族かという点である。本作は遺族を家族としており、そこには個人が抱える問題よりももっと複雑で多岐にわたる問題が絡んでいる。結果として、同じ喪の仕事を描いても、テーマは更に広がりを持つことになった。単にテーマを焼き直しただけではなく、家族を題材にしたという点で、「幻の光」よりも一歩進んだところで勝負しているような感じがした。