古典だが様々な要素が詰まった良質な作品。
「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ・ジャンル古典
(あらすじ) 江戸時代、柳生藩に衝撃的な知らせが入る。先日、婿養子に出た次男源三郎に二束三文のこけ猿の壷を贈ったのだが、それが百万両もする値打ち物だったことが分かったのだ。藩主は慌ててそれを取り戻そうとする。ところが、源三郎はそうとは知らずにその壷を屑屋に売り払ってしまった。その後、壷は屑屋の隣に住む子供安吉の金魚入れになった。柳生藩の遣いは壷探しに奔走することになる。一方、美人な女将が切り盛りする小さな射的屋。そこには片目片腕の用心棒・左膳が居候していた。くしくもそこに安吉の父親が出入りしていた。ところが、ヤクザに因縁をつけられて彼は刺し殺されてしまう。左膳と女将は天涯孤独になった安吉を預かる事になった。そこに源三郎がやって来る。彼は新婚の身ながら射的屋の娘に一目ぼれしてしまったのだ。何も知らずに壷を持った安吉や左膳等と交流を重ねていく。
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(レビュー) 百万両の壷を巡って繰り広げられる下町人情劇。
人気シリーズ「丹下左膳」の1編であるが、タイトルに「餘話」とついていることからも分かる通り、本作は原作者側から左膳のイメージが違いすぎるというクレームがつき、このようなタイトルになったそうである。従来の左膳はニヒルなイメージが強かったが、本作の左膳はコミカルで親しみやすくなっている。しかし、それが功を奏し、本作は数ある「左膳」作品の中でも多くの人々から愛されるようになった。
監督は山中貞雄。現存する作品は少なく、28歳という若さで亡くなった短命な作家である。今改めて彼の作品を見ると急逝が偲ばれる。遺作となった「人情紙風船」(1937日)は日本映画史に残る名作だと思う。そして、この「丹下左膳餘話 百万両の壺」もそれに負けず劣らずの傑作だと思う。
まず、この物語に盛り込まれた娯楽要素の多彩さに驚かされる。たかだか90分程度の作品に、人間ドラマ、サスペンス、ロマンス、コメディ、様々な要素が無理なく詰め込まれている。ここまで内容の濃い作品もそうそう無いだろう。
左膳と安吉の擬似親子、女将との擬似夫婦、このあたりには人間ドラマ的な風情が感じられる。そして、百万両の壷を巡る争奪戦にはサスペンス的な面白さが、源三郎の不倫にはロマンスの面白さがある。映画はこれらを軽妙洒脱なコメディ・フレーバーで包み込んで形成されている。悲惨な境遇や陰湿な陰謀も出てくるが、それすらもこのコメディ・フレーバーによって楽しく見れるようになっている。しかも、一つ一つの笑いが実に計算されているのだ。
例えば、百万両という値打ちを知らずにこけ壷に金魚を入れたり、射的屋の借金返済に売り出そうとしたりするところは実に可笑しかった。上流社会と下流社会の価値観のズレを皮肉的に表しながら見事に上質な笑いへ昇華されている。
そして、このコメディ・フレーバーを支える上で、源三郎というキャラクターを忘れてはならないだろう。このキャラクターは物語上、大変重要な役割を担っている。彼は若い娘にうつつを抜かす不貞の亭主で、しかも道場の師範を任されておきながら剣の腕はからっきしというダメ男である。要所要所の笑いに必ず彼が絡んでくるのだが、その顛末が良い。半ば強引なまでのハッピーエンドとも言えるが、この男にしてこの”あっけらかん”とした顛末はよく似合っていた。
むろん、主役の左膳とヒロイン女将も魅力的に描けている。何気ない日常会話や射的屋の置物といった小道具を駆使しながら、二人の関係が簡潔に説明されている。また、言葉は乱暴だが根は優しい左膳。勝気だが懐の深い女将。二人とも傍から見れば冷淡な人間に見えるが、実際には情に熱い人物であることもよく分かる。表裏のギャップを様々な局面で見せた山中演出には感心させられるばかりた。
加えて、山中監督の省略演出にも唸らされるものがあった。これがこの映画をコンパクトにまとめている最大の要因だと思う。ただむやみに省略しているわけではなく、きちんと計算されているところが素晴らしい。
例えば、左膳が安吉の父を家まで送るまでの経緯、女将が安吉を引き取るまでの経緯、安吉が竹馬を買ってもらうまでの経緯。これらは全て中間の描写が省かれている。描く事で全てを見せてしまうことと、描かない事で想像させること。山中貞雄はその使い分けを心憎いほどよく弁えている。例に挙げた3つのシーンは、描かない事で観客に想像を働かせ、結果的に味わいをもたらすことに成功している。ちなみに、この3つの省略には左膳と女将の優しさもそこはかとなく滲み出ていて良い。テンポの良さ、隙の無い作劇、そしてキャラの人となりを的確に捉えた省略演出は実に見事である。