見応えはあったが、メッセージに疑問。
「キャタピラー」(2010日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 中国に出兵した久蔵が四肢を無くし焼け爛れた顔になって帰国した。立派な勲章を貰い新聞には“生ける軍神”と書かれ、村中から功績を称えられる。しかし、妻シゲ子は彼の食事と排泄、性処理の世話に追われ暗澹たる気持ちになる。
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(レビュー) 戦争で変わり果てた姿になった夫を介護する妻の苦悩を、緊張感溢れるタッチで描いた愛憎ドラマ。
シゲ子役を演じた寺島しのぶの体当たりの演技が印象に残る。彼女は本作で見事にベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞した。初めこそ過剰な演技が鼻についたりもしたが、物語が進むに連れて徐々にその熱演に見入ってしまった。一方で久蔵役を演じた俳優もかなりの熱演を見せている。手足を失い一人では何も出来ない体になったことで、彼は絶望感を募らせていくようになる。声も出せないので、不満や怒りの感情を露にすることも出来ない。正に絶望を感じ取れる演技だった。
本作はほぼ全編が、この二人の息詰まるようなやり取りによって構成されている。非常に緊張感を漂わせたトーンで見応えがあった。
そして、夫婦間の営みにおける最も原始的な求愛行為。肉体による性交。それが二人の心を益々遠ざけていくところに、愛の皮肉さ、残酷さを感じずにいられない。初めは仕方なく久蔵の求めに応じてセックスをするシゲ子だが、徐々にその行為を“取引”の道具として使うようになっていく。セックスを餌にシゲ子は久蔵を調教していくようになるのだ。それまでの夫婦関係の優劣がここで一気に逆転する。慈愛の精神といった美談など、どこ吹く風。愛の不毛を極めてシビアに捉えた所に背筋が凍る思いがした。
また、物語の背景には戦争が付きまとう。この抗いようがない現実が更にこの夫婦を苦しめることになる。“軍神”として世間から崇められ<生かされる>久蔵。“軍神”の世話を<させられる>シゲ子。もはや二人の間には、お国のため‥という義務感しか残っていない。そうなるとこの夫婦関係が益々形骸的なものに見えてくる。戦争が人々に落とす影。そこにやりきれない思いにさせられた。
監督はインディペンデント界の異端児、若松孝二。様々な問題作を撮る事で有名な監督であるが、本作もかなり衝撃的な内容になっている。自分が見た若松作品は前作
「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」(2007日)だけである。その作品からも感じ取れることだが、どうやら氏は演者を汚し狼狽させ極限的な状態に追い込む事がお好きなようである。演じる方はかなりの体力を要するだろうが、これによって作品には一種異様な禍々しいエネルギー、爆発したらキケン!と思わせるような迫力を抱有することになる。例えば、本作で言えば、生卵を使った演出などはかなりえぐい。これこそ若松監督らしい非凡な演出センスである。他の監督たちでは到底真似出来ない所に魅力を感じた。
ただ、作品が最後に発する反戦的なメッセージについては素直に受け入れ難いものがあった。前作は連合赤軍を題材にしたという点で、社会派的なテーマの下で政治的なメッセージが発せられていた。描き方の良い悪いは別として、ドラマに追従する形ですんなりとメッセージが入ってきた。しかし、今回は少し違う。確かに戦争は物語の重要なファクターとして存在しているが、このドラマはあくまで一組の夫婦の愛憎劇にある。果たして、この作品を単純に反戦映画と捉えて良いのだろうか?例えば、同じようなシチュエーションの作品で思い出されるのが、ベトナム帰還兵の悲劇を描いた「ジョニーは戦場へ行った」(1971米)である。四肢を無くした兵士の絶望的な日常をモノローグで紡いだ、正にストレートな反戦映画だった。それに比べると、本作は戦争に関するメッセージを述べるにしても、このドラマ本来が持つ意味合いからすると、かなり飛躍して発せられているような気がしてならない。戦況を伝えるラジオ放送は物語の重要なファクターとして納得できるが、ラストの記録映像やクレジット、エンディングの歌はどうにも取ってつけたような印象がしてならなかった。仮にこのメッセージに説得力を持たせるのであれば、戦争というものに対してもっとこだわる必要があったと思う。本作に比べたら、黒木和雄監督の
「TOMORROW 明日」(1988日)の方がはるかに力強く真摯にメッセージが発せられていると思った。
実は、後になって知ったのだが、この映画は江戸川乱歩の短編小説「芋虫」がモティーフになっているということである。「芋虫」は1929年に発表された作品で、確かに反戦的な表現はあったものの、戦争は物語のきっかけ、背景に過ぎず、メインテーマは乱歩お得意の愛憎ドラマにあるという(Wiki参照)。おそらく若松監督のこと。そこに戦争の悲惨さを問題提示したかったのだろう。しかし、今回ばかりは物語の本質と微妙にズレてしまったような印象を受けてしまった。
今晩は、ありのさんへお久しぶりです。
各種メディアでこの作品の監督を務めた、若松孝二さんが交通事故に巻き込まれて、危篤状態におちいったのですがあの後亡くなられるなんて信じられないです。今日は通夜が行われてそして明日には葬儀が行われて弟子そして息子のように慕われていた俳優の井浦新さんが、弔辞を読むそうです。若松監督のご冥福謹んでお祈りします。
若松監督の死は大変残念です。これからまだまだ作品を撮っていただきたかったのですが‥。彼の残した作品を見るのがせめてもの供養ですね。
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