荒削りだがコリン節が炸裂した異様な雰囲気を持った作品。
「ガンモ」(1997米)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 竜巻に襲われたオハイオ州の小さな町。少年ソロモンとタムラーは、野良猫を殺して肉屋に売って生活していた。最近、方々で猫の死体を見つける。どうやら、彼等以外にも猫を殺し回っている人間がいるようだ。一方で、愛猫家のブロンドの姉妹がいた。彼女等は身体を売って生活している。町には他にも様々な若者達が住んでいたが、皆心は荒んでいた。そんな彼らを見守るように、ウサギ耳の少年が方々に出没する。
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(レビュー) インディペンデント界の異才H・コリンの監督デビュー作。彼の作品は以前このブログで
「ミスター・ロンリー」(2007米)を紹介した事がある。実は、このデビュー作だけは未見だったので遡る形ではあったが鑑賞した。
結論から言うと、いかにもH・コリンらしい作品である。若者達の日常を淡々とカメラで切り取りながら、美しさよりも醜悪さ、建前よりも本音を曝け出し所がいかにも彼の作品らしい。全体的にシュールで寓話性の高い作品であるが、描写自体には生々しさがありユニークな鑑賞感が残る。
ただ、ドラマを語ることについてはほぼ放棄しており、果たして劇映画としてはこれはありなのか?という疑問も湧いた。少なくとも後の作品に比べると、このデビュー作は完全にドキュメンタリーに近い作りになっている。ソロモンとタムラーという主要人物はいるが、それ以外のキャラクターは物語の中における役割はほぼ同質の扱いで、彼らの心中に迫る演出もほとんど見られない。したがって、物語のバイブレーションは極めて乏しい映画になっている。あくまでコラージュ作品として捉えた方がいいのかもしれない。
ちなみに、登場人物もいかにもH・コリンらしい癖のあるキャラが揃っている。同性愛者、障害者、倒錯者といった世間から少し外れたところに生きる若者達が登場してくる。そして、出てくる映像も動物虐待や児童虐待といった禁忌的なものが多い。おそらくだが、H・コリンという監督は非キリスト的な思想の持ち主なのではないだろうか。それは「ミスター・ロンリー」からも、その他の作品からも何となく伺える。禁忌的行為を通して神の絶対性、永遠性を否定し、それに対抗する形で人間の醜悪さ、脆さ、つまり人間の素の姿を謳いあげているところに非キリスト的な思想を感じてしまう。今回のようの寓話的な作品を撮ることが多いコリンだが、実は彼は奇跡を信じない極めて現実主義な作家なのかもしれない。
幾つか印象に残る場面があった。ソロモンと母親を写したシーンなのだが、これはかなり異様である。母親が突然タップダンスを踊ったり、ソロモンの頭にオモチャの銃を突きつけたり‥、頭のねじが緩んでいるとしか言いようがない行動の数々に不気味さを覚えた。そもそも入浴と食事を一緒くたにする思考からして、とてもじゃないが理解不能である。果たして母子が何故にこうまで空虚な生活を送っているのか?明示されていないので皆目見当がつかないが、常に孤独の縁に立たされているソロモンの姿がやけに不憫に思えた。
また、摩訶不思議な造形をしたウサギ耳の少年は、この映画で唯一あからさまに非現実的なキャラクターとして登場してくる。この正体についても劇中では明示されていない。非キリスト的なものを作品に含ませるコリン監督のこと。このウサギ耳の少年に、神の世界から追放された堕天使的な意味を持たせているのかもしれない。あるいは、彼が常に思春期の少年少女達の周縁にドラマの舞台を求めている事を考えると、「不思議の国のアリス」のアンチテーゼという解釈もできるだろう。いずれにせよ、特異なビジュアルも相まって、このウサギ少年は非常に印象に残った。