見る人によってはひんしゅくモノかもしれないが、力強い作品である。
「ミッション」(1986米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 南米奥地のインディオの村に、宣教師ガブリエルが布教活動にやって来た。彼はそこで奴隷商人メンドーサの非道を目にし憤りを覚える。それから暫くして、ガブリエルは偶然メンドーサの変わり果てた姿に遭遇する。彼は愛憎のもつれから実弟を殺害し投獄されたのだ。罪の意識に苛まれ神に救いを請うメンドーサ。ガブリエルは罪滅ぼしとして彼にインディオの村に随行することを命じた。こうして重荷を背負いながら険しい山道を登りきったメンドーサは、村人達に受け入れられることで救われた。数年後、メンドーサは見習い神父として、村に建立された教会で信仰心を深めていった。そこにイエズス会から枢機卿がやって来る。村の領有権を巡るスペインとポルトガルの騒乱を沈めようとするのだが‥。
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(レビュー) 西欧列強によるアジア、アメリカ大陸の支配は、歴史的に見れば15世紀の大航海時代に端を発する。欧州各国は未開の地に土足で踏み込み先住民を力で制圧していった。
この映画では、南米パラグアイの領有権を巡ってスペインとポルトガルが対立する。両国のどちらに統治権があるのか?それをイエズス会が公式的な立場で裁定するという所が、いかにもカトリックの国らしい。当時のイエズス会がいかに強大な権力を持っていたか。そのことがよく分かる逸話だ。
物語はこの政治的な駆け引きの舞台裏で犠牲になる現地の人々、つまりインディオ達の数奇な運命と、彼等を守って戦う二人の神父の姿を描いている。
実直で清廉潔白な宣教師ガブリエル。奴隷商人から改心し見習い神父となったメンドーサ。領土占領の騒乱に巻き込まれる二人は、村人達を助けようと志を共にするが、その方法については意見の食い違いを見せていくようになる。そこがこのドラマのミソである。
映画は二人の採った選択の正否を提示していない。偽善に溺れることなく、成否の解釈を観客に委ねた描き方は実に心に残るものだった。そして、この映画が訴えかけているのは、争いの絶えない人間の業そのものであることに気付かされる。
哲学者ニーチェの言葉に「神は死んだ」というフレーズがある。この言葉は氏の著書「ツァラトゥストラはかく語りき」によって、つとに有名な言葉である。神に変わる超人思想に取り付かれた主人公ツァラトゥストラの姿を借りて、ニーチェはこの世の不安定さ、絶対的存在の否定を説いた。それはつまりキリスト教という絶対的存在に不信の目を注ぎ、神の存在を否定したことにもなる。著書が書かれた19世紀末と言えば、キリスト教を冠する西欧列強が没落していった時代である。「神は死んだ」というフレーズは、当時の世界の趨勢を顧みた上での言葉だったことは容易に想像がつく。この映画のラストから読み取れるメッセージも、正にニーチェの「神は死んだ」という言葉だった。
おそらく、このラストを見たキリスト教宗派の人々、とりわけイエズス会を擁するカトリック教会の人々は、少なからず眉を潜めるかもしれない。何しろ神を否定するかのような結末になっているからだ。しかし、実際に人間は争いを止められないし、戦争もなくならない。この現実は否定できないことだと思う。
映像は大いに見応えがあった。冒頭の滝のロケーション、ギリギリのところでで撮影したと思われる登山シーン等、実に迫力あった。撮影監督はクリス・メンゲス。彼のカメラマンとしての腕も油が乗り初めた頃だと思う。フィルターを使用した豊富な色彩にも惚れ惚れさせられる。
E・モリコーネの音楽も効果的に使われている。民俗音楽を取り入れながら、いかにもモリコーネらしい叙情的な旋律が感動を盛り上げている。
敢えて本作で難を言えば、ガブリエルとメンドーサが袂を分かつシーンであろうか。音楽も途中でぶつ切りされてしまい、気が急く編集に興が削がれた。ここは重要なシーンだけにもう少しじっくりと描いて欲しかった。