同世代向きの映画かもしれないが、大人向けに作られている部分もある。
またしても原監督の“泣かせ”の演出にはまってしまった。
「カラフル」(2010日)
ジャンルアニメーション・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 死んだ“ボク”は魂となってあの世の入り口でプラプラという天使のような少年に出会った。ボクは前世で罪を犯したらしく、このままでは輪廻のサイクルから外れてしまうらしい。そこで自殺した中学生、小林真の中に入って人生をやり直す修行をさせられることになった。ガイドとして付いてきたプラプラによれば、真の自殺の原因は酷く深刻なものだった。それを聞いたボクは、温かく迎えてくれた家族に心を開く事が出来なくなった。学校にも自殺の噂は流れており居心地が悪かった。ただし、美術部にいる時だけは心が安らいだ。意中の後輩ひろかが遊びに来るのが嬉しかったからだ。そんなある日、ボクはひろかの秘密を見てしまう。
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(レビュー) 暗く鬱屈した青春を送る少年の成長をファンタジックに綴ったアニメーション作品。
監督は原恵一。前作
「河童のクゥと夏休み」(2007日)のところでも書いたが、彼の“泣かせ”の演出手腕は相変わらず手馴れていて、今回もあるシーンの母親の演技でまんまとホロリとさせられてしまった。そして、またしてもコンビニのシーン!で涙腺が緩んでしまった。「クレしん」の映画も「河童のクゥ~」も泣きのツボは一緒である。友情と家族愛。そこに今回もまんまとハマッたという次第である。
今回目新しいと言えば、主人子が中学生という年齢設定になっていることである。「クレしん」にしろ「河童のクゥ~」にしろ、これまでの原作品の主人公は園児であり小学生だった。今回の主人公真は中学生である。思春期が抱える問題、例えば虐め、援助交際、進路といったものが絡んできて、そこに付随する形で周囲の級友や家族の葛藤も描かれている。目立つのは真の母親とひろかの葛藤である。この二つに関しては深く探求することも可能であり、明らかにこれまで以上に人間ドラマの本格化がはかられている。原監督にとっても新たな試みだったのではないだろうか。
また、“ボク”の前世は一体何だったのか?どんな罪を犯したのか?こうしたミステリがドラマの中に周到に用意されている。大体中盤辺りで察しはついてしまうのだが、ドラマを追いかけるマクガフィン的な役割としては上手く機能していて、興味を維持したまま物語を追いかけることができた。
ミステリといえば、天界の少年プラプラの存在もかなり謎めいている。ボクに真の情報を与えてくれる水先案内人であったり、過った行動を諭す指導者であったり、時と場合によって様々な役割を持たされている。しかし、彼についての素性は最後まで謎が多く、掴み所のない少し不思議な存在として描かれている。全てを明白しなかったのは演出上の計算だろう。それによって終盤のシーンは叙情性が生まれ、彼のバックストーリーを想像する楽しみも出てくる。このさじ加減も実に上手い。
作画は前作同様リアル志向である。但し、比較してしまうと多少粗さが目立った。「河童のクゥ~」は老舗のシンエイ動画。今回はまったく知らない製作スタジオだった。どうもこの辺りに原因があるのかもしれない。ただ、要所の人物感情表現は実に細かく作画されていて、そこは救いであった。
背景美術は実写と見紛うくらいリアルで緻密である。物語の舞台は二子玉周辺であり、おそらくロケハンを念入りにした上での作画だろう。ただ、余りにもリアルすぎてキャラクターとの乖離が生まれているシーンもあった。バランスの問題だと思う。
声優陣は、残念ながら真が今ひとつシックリとこなかった。リアル寄りな造形とはいえ、動きは極めてアニメーション的なメリハリを利かせたものである。声に乗る感情の振幅がキャラの動きに比べるといささか物足りない。中学生の割にかなり声が高いのも気になった。
サブキャラには専門の声優ではない、いわゆる俳優も混じっているのだが、今回は概ね安心して聴けた。まさか真の母親を麻生久美子が当てているとは気付かなかった。彼女は声だけの演技をやらせても中々上手いと思う。佐野役の宮崎あおいも自然に聴けた。
ちなみに、この佐野というキャラは引っ込み思案で挙動不審でかなり癖のあるキャラクターである。言わば、コメディリリーフ的な役割を持たされているのだが、これはアニメの表現でこそ映えるものだと思った。実写ではわざとらしく写ってしまうだろう。動きと声のタイミングを取るのはかなり難しく至難を要したと思うが、上手くマッチしていて感心させられた。