イスラム社会を鋭く投影したヒューマン・サスペンス。見終わった後にジワリと来る。
「彼女が消えた浜辺」(2009イラン)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) テヘランからカスピ海沿岸のリゾート地にやって来た3組の家族。その中に彼女、エリはいた。エリは職場の同僚セピデーに誘われてやって来たのだが、実はこの旅行は彼女をセピデーの友人アーマドに引き合わせるために用意されたものだった。アーマドはエリを気に入り友人達も二人の仲をはやし立てた。ところが、当のエリは浮かない表情を滲ませる。翌日、バカンスを楽しむ一同に戦慄が走る。家族の子供が海岸で溺れたのである。どうにか一命を取り留めたが、その間にエリの姿が忽然と消えてしまう。
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(レビュー) イラン映画というと日本では馴染みが薄いかもしれないが、個人的にはA・キアロスタミやM・マフマルバフといった作品が思い出される。貧困層や歴史的に虐げられてきた女性に焦点を当てたドラマは、どれもイスラム社会の現実を映し出していて、異なる文化圏に住む自分からすると別の世界を知ると言う意味で面白く見れる。しかし、本作にはこれらの作品で見られるような人々はほとんど出てこない。どこにでもありふれた中流家庭が登場してくる。自分はこういう設定で描かれたイラン映画を見た事がなかったので、かなり新鮮に写った。但し、宗教に関しては今回も重要なモチーフとして登場してくる。婚姻の戒律は今だにイラン社会に深く根付いていることが確認できる。
物語は和気あいあいとしたバカンス風景から始まる。過去の戦争の影が一切見えてこないところにある種の驚きを感じるが、これが今のイランを捉えたリアルな日常風景なのだろう。我々と同じ高さの目線ですんなりとドラマに入り込む事が出来た。ただ、登場人物が多い上に彼等の関係説明が一切ないため、序盤はかなり混乱させられた。まるでR・アルトマン監督の群像劇でも見ているかのような、そんな印象でスタートする。しかし、これもドラマが進むに連れて徐々に整理されていくようになる。その後暫くは楽しいバカンス風景が続くのだが、事件は翌日の朝に起きる。子供が溺れ、エリが失踪してしまうのだ。ここから映画はミステリアスに展開されグイグイと画面に引き込まれた。
本作は基本的にミステリー映画の体を取っているが、衝撃的な結末で驚かせるタイプの映画でなく、少しずつ謎を解き明かしながら見せるタイプの映画である。エリはどこにいったのか?溺れてしまったのか?黙って帰ってしまったのではないか?彼女の家族にどう説明する?残された3組の家族は、エリの失踪をどう処理するかで意見を衝突させ、徐々に精神的に追い詰められていくようになる。見ようによっては滑稽にも写るし、人間の弱さ、愚かさを表明したシリアス劇にも写る。言わば、これはワン・シチュエーションの中で繰り広げられるディスカッション・ドラマである。おそらく舞台劇にしても相当面白くなるような気がする。
尚、事件の顛末は描かれているが、事件の原因については映画の中では明確にされていない。そこがミステリー映画としてカタルシスを失している部分なのだが、しかし逆に言えば“永遠の謎”としたことによって作品に深みが出てくる。つまり、失踪の原因を観客に考えてもらうことで作品の訴えるメッセージを感じ取って欲しい‥という作り手側の計算が、この煮え切らないエンディングには集約されているような気がする。
そして、エリの取り巻く状況を考えてみると、こんな推測も出来る。彼女は現実から逃れたくて自らの意志で失踪するしかなかったのではないだろうか。流れに身を任せながら後戻りの出来ないところまで来てしまい、最終的に失踪する事で全てにケリをつけるしかなかったのではないか‥。姦通に厳しいイスラムの戒律、女性に対する抑圧の歴史。これらを併せ考えてみると、失踪の裏側には悲しいものが見えてくる。
監督はこれが初演出の新人監督である。粗さが目立ち完成度という点では物足りさもあるが、実直に描こうとする姿勢は画面から十二分に伝わってきた。その点では、キアロスタミやマフマルバフの素朴さに近いものも感じる。
そして、物語の舞台が浜辺の別荘ということで、波の音が効果的に使われている。登場人物の不安感を煽るように常にバックに流れているのだが、時に荒々しく、時に不気味なほど静かにその場のトーンを支配している。その分BGMがほとんど流れないため、作品に一定のリアリズムが生まれる。
また、浜辺に埋まった車を家族全員で押すラストショットは印象に残った。寄せては返す波が、どんなにもがいても脱け出せないイスラム社会の現状を象徴しているようである。