滝田洋二郎監督の風刺劇は過激で面白い。
「僕らはみんな生きている」(1992日)と並べて見てみたい。
「木村家の人びと」(1988日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 木村家の朝は忙しい。父は近所の老人達を雇って新聞配達を代行し、妻は艶っぽい声でモーニングコールのサービスをする。その後は、家族総出で仕出し弁当を作るのだ。彼等は副業で小銭を稼ぐことに生きがいを感じる一家なのである。そこに認知症の母親を引き取ってもらおうと兄夫婦がやって来た。彼等はその光景を目にして呆れ果てる。そんな中、唯一小学生の長男太郎だけはためらいの顔を滲ませていた。兄夫婦は太郎だけでも救ってやりたいと思い、手紙のやり取りをしながら「人生に大切なものは金じゃない」ということを教えていく。そんなある日、木村家に事件が起こる。せっせと貯めた貯金が、認知症の母の気まぐれで散財されてしまったのである。落ち込む木村家の人々。そこに兄夫婦が太郎を引き取りたいとやって来て‥。
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(レビュー) 小銭を稼ぐことに生きがいを感じる一家の悲喜こもごもをブラックに描いた風刺コメディ。
映画が製作された当時はバブル真っ盛りだったと思う。不動産や金融投機に夢中になり、老若男女誰もが浮かれていた時代である。木村家の人々はそれらに比べると随分堅実と言える。真っ当かどうかは別として、とりあえず労働の対価として金銭を稼いでいるからである。しかし、金に生きがいを求める思考はつまるところ拝金主義なわけであり、金によって人生を狂わされたバブリーな人達と大して違いはないというのがこの映画の“本音”だろう。後にバブルは崩壊し、それまで浮かれていた人々はこぞって泣きを見るようになる。木村家も正にそうなっていくのだが、本作はそこを滑稽に描きつつ拝金主義、つまり当時のバブル経済に警鐘を鳴らしているところが中々鋭い。
作品が発するメッセージは至極シンプルである。豊かな人生とは何なのか?という命題を問うている。
木村家は金が最も大切だと捉えた。兄夫婦は人間愛を重視した。夫々の人生だから夫々の人生観があっていいと思うが、しかし考えてみれば金も愛も不確実で不誠実な価値観の上に成り立つ極めて移ろいやすいものである。バブルがはじければ金は藻屑と消えるし、人の心が変われば愛だって消えてしまう。大事なのは何かを得るのではなく、それを得るために“どう生きるか”ということなのだと思う。つまり、目的ではなくて過程。それが人生にとって一番大切なんだということを、この映画は教えてくれている。そこを見誤ってしまったのが拝金主義者である木村家であり、偽善者である兄夫婦だった‥ということだろう。
ラストは木村家対兄夫婦という構図そのままに、”金”と”愛”の選択が提示されている。正面から問題提示したところに好感が持てた。惜しむらくは、親子愛という感傷に引きずられる形で閉幕してしまったことであろうか‥。全体の作りが気楽に見れるコメディになっているので、終わり方も清々しい感じに仕上げたかったのだろう。しかし、もう少しクールな幕引きにしたほうがテーマはより引き締まったように思う。
小ネタで笑えたのは、木村夫婦の賭けセックスだった。腰を振った回数だけ妻は夫から100円貰えるシステムになっている。夜の生活にまで金儲けを持ち込むとは‥、苦笑してしまった。他に、学校の先生の異常に熱の篭ったハーモニカ演奏も馬鹿馬鹿しくて笑えた。
基本的に本作の笑いの演出はスペクタクルに傾倒していくパターンが多い。ドミノ倒し的に広がる笑いは非常に痛快で面白い。ただ、このタイプのギャグが全編に渡って反復されてしまっているので後半あたりから食傷気味になってしまった。パターンが決まっているので先が読めてしまうつまらなさがある。前半はまだ笑えたのだが、後半あたりから少し辟易する場面もあった。また、ギャグとして惜しい箇所もあり、例えば木村家の向かいに住む高倉家の変わり身はもう少し説明を要した方が笑えたと思う。
キャストは鹿賀丈史、桃井かおり、共に肩の力を抜いた演技が中々楽しませてくれる。また、長女役を演じた岩崎ひろみの生意気な小学生も印象に残った。